2004年回顧録
終わってみれば無冠。アンチ浦和の高笑いがこだまするような結果になってしまいましたが、長年のレッズサポとしては充実した一年でした。
春まだ浅い「さいしんカップ」。無残なスタートでした。相手が甲府だったのでなんとか勝つには勝ちましたが、連携なく、動き出し鈍く、パスミスばかり。J1相手なら大量点を許したであろう、お寒い内容でした。
ニキや闘莉王の故障も誤算だったでしょうが、A代表や五輪代表にメンバーを取られてただでさえチーム作りが難しい上、新人監督のギドがシステムの試行錯誤に明け暮れたこともあって、ファーストステージの前半はもどかしい試合が続きました。ビックアーチでの前半45分。これが今季レッズ最悪の時間帯だったと思います。
そんなチームがナビスコで再び国立の地を踏み、さらにチャンピオンシップを闘い、最後は大幅にメンバーを欠きながらも天皇杯準決勝まで駒を進めるようになるとは驚きとしかいいようがありません。
キャプテン暢久がベンチ入りも許されず、故障明けの闘莉王を強行出場させた広島戦。結局スコアレスドローに終わりましたが、さして面白くもないあの試合の後半で何かを掴みとったのでしょう。その後坪井退場による大敗(名古屋戦@豊田)や桃太郎での大逆転負けといった波乱もありましたが、チームはほぼ右肩上がりに成長してゆきました。暢久ボランチ構想を放棄し、3-5-2&山瀬トップ下で基本方針が安定しだしたのもこの頃でしょうか。
しかし好事魔多し - 山瀬重症。快勝で終えるはずだった新潟戦でのアクシデントがチームに重くのしかかり、さらに相手の研究も進んで思うように点が取れなくなった中、苦しい試合を続けながらも勝ち星を積み重ねるレッズ。セカンドステージを独走で制覇したのは辛く悲しいことが長く続いたレッズの歴史において輝かしい記録でしょう。だがタイトルにはもう一歩及びませんでした。
それは主力選手を相次いで失ったためかもしれないし、時折見せるチームの若さのせいかもしれないし、なんだかんだいってもやっぱり新人監督には荷が重かったせいかもしれない。
いろいろなことが積み重なって、結局レッズは一番強いチームにはなれなかった。それはそれとして認めざるを得ません。ですが、Jリーグで最も刺激的で、多くの観衆を魅了し、次もまた見に来ようと思わせるエキサイティングなサッカーをしていたのは間違いなくレッズです。フロントの尽力で優秀な選手が揃い、監督も多少試行錯誤はあったけれども攻撃な姿勢を崩さず、文字通り「1-0で勝つよりも3-2で勝つ」方針を貫き通しました。埼スタでの開催が増えたこともあり、今年初めてレッズの魅力に取り憑かれた人も多いことでしょう。
圧倒的な人気と抜群の話題性を持ち、しかしただそれだけであったといっても過言ではなかった浦和レッズがついにJリーグ屈指の実力を安定的に発揮するようになった2004年。ハードの整備も進んで、これまで何かと敬遠されがちだった有名高校生選手までも相次いで獲得に至るなど得るところの多かった2004年。
魅力的な試合を演出することで、ただでさえ多いサポーターの層がまた一段と厚くなり、それに引き寄せられるスポンサーのお陰でさらに資金力を増し、日本唯一のビッククラブへと駆け上がろうとしているレッズ。多くの他チームサポの羨望とやっかみと嫉妬を受けつつも、来年はきっと大きな仕事をしてくれることでしょう。
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