あなたにとって浦和レッズとは?
僕にとって浦和レッズとは「稀代のバカ息子」だと思っていた。
生まれながらのサッカー馬鹿が集う浦和の街に、多くの人々の期待を背負って誕生したレッズ。だが、そのレッズの歩みは人々の願いとは裏腹に実に不甲斐ないものだった。
とにかくやること成すことまるでダメ。数々の侮辱と嘲笑を受け、進むべき道に迷い、苦しみ、ようやく光明が見えたかと思えば、たちまち無限地獄に陥り、数多の師には匙を投げられ、一度は人の道を踏み外したりもした。
しかし、そんな前代未聞の大バカ野郎であっても愛しの我が息子だ。どんなことがあろうとも信じ、励まし、時に怒り、背を向けるようなことがあっても、決して見捨てることだけはなかった。
僕と浦和レッズはそんな関係だ、と思っていたこともあった。
だが、たとえ親子であったとしても、それは別の存在であり、相対立しているわけではないにしても、決して同一の存在ではない。もう僕と浦和レッズの関係は -不可分一体といっていいのかどうかはわからないのだけれども- 親子よりももっと濃密なところへ行き着いているのかもしれない。スタジアムでレッズを見つめ続けるにつれ、そういう風に思うようになった。
大将をもって「救いの地」と言わしめた駒場スタジアム。選手・スタッフ・フロント陣は言わずもがな、スタジアムに集うファン・サポーター、それを支えるパートナー各社、そしてチームを誇りに思う街の人々。それらがみんなレッズだ。そして僕はもちろん栄えある浦和レッズの一員である。
さらに大将の言葉から進んで鑑みるに、僕にとって浦和レッズとはそれに絶対的に帰依することで魂の救済が得られる宗教的存在なのかもしれないとも思えるのだが、今はうまくまとまりそうになく、またの稿を待つことにしたい。
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わけがわからない文章ですな。ちょっと怠惰屋テイストにしてみました(^^;
次は「ウラワの魂」のマヨチンさん、よろしくお願いします。唐突ですいません。
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