愛媛探訪(1)
一夜明けて、オッサンは松山市内を離れて南予へ足を延ばすことにしました。朝一番の宇和島行き特急「宇和海1号」は人影もまばら。
朝食は松山名物の駅弁「醤油めし」(鈴木弁当店:730円)。改札口を入った先の前のワゴンで購入。伊予方言をびっしりと書いた包み紙や容器、そして弁当の内容。それぞれ昔から全く変わっていないように思いますがどうでしょうか。「醤油」というネーミングがしょっぱそうな印象を与えますが、実際はむしろ若干甘味すら感じするほどで、全体としてあっさりした仕上がりで朝飯には最適。ここまであっさりだと鶏肉の脂がちょっと浮いているような気もします。
最初の目的地は卯之町。今は市町村合併で西予市になっていますが、宇和島の北にある田舎町です。ここは全国的にはそれほど有名ではありませんが、古い町並みが残る宇和島街道の宿場町です。蘭学が盛んだった宇和島に近いため、ここに居を構えた二宮敬作や敬作が匿った高野長英を始め、多くの蘭学者がこの町に足跡を残しています。幕末物の小説でこの町を知っている方も多いことでしょう。
蘭学の伝統ゆえか、明治15年に町民が費用を出し合って洋風校舎「開明学校」が建設されています。
古い町並みが残るといってもさほどの規模ではないので、卯之町へ行かれた際には「愛媛県歴史文化博物館」まで足を延ばすことをお勧めします。駅から徒歩20分程度ですが、博物館は山の上に建っており、駅からだと山間の遊歩道を伝ってゆかないといけないのがちょっと鬱ですが、それだけの価値はあります。
博物館では愛媛の歴史と民俗が幅広く紹介されており、丹念に見て回れば半日は楽しめます。
愛媛県というのは強力な戦国大名が出ておらず、幕末史で主役級でもなく、さらにいえば国内の主だった戦乱の舞台になったこともありません。こういう県は往々にして日本史上の存在感は薄くなりがち(埼玉県はその典型ですね)ですが、愛媛は村上水軍という他県ではあまり例のない個性派集団がいたり、江戸期には小藩分立していたことが地域差、特に松山と宇和島の藩風の違いとなって面白味を出したり、明治期には俳人を多数輩出したりと、博物館が取り上げるべき話題は実に豊富で飽きさせません。強いて難を上げれば、日本経済史上における重要性を考えれば別子銅山の取扱いがやや小さいことでしょうか。
これは水軍の「小早」。
こちらは宇和島の「牛鬼」。
博物館のリニューアルで昭和30~40年代の街かどを再現した展示が加わったようですが、なんか集客目的にテーマパークみたいなもんを作ってみましたっちゅ-感じで、これはあまり好感が持てません。次は「別子」をヨロシク。っちゅーか、住友がもっと金を出してやれよ。
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