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2006.06.24

ジーコ前監督備忘録

 自分の備忘録としてまとめておきます。事実関係に間違いがあれば陳謝いたしますが、本エントリーはあくまでもジーコ前監督に対する私の見解なので、主観の相違からくる苦情等はお控え願います。

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 日本代表を4年にわたって率いたジーコ監督は、端的にいえば「情に厚く、身近にいる方にとって良い人なのかもしれないが、プロの監督として要求される水準に達していない上、職務に忠実であるとも言いがたかった」と評することができましょう。

 ジーコは自分の「お気に入り」(ジーコ流の言い回しでは「ファミリー」か?)を徹底的に重用したところに特徴があります。どうしてその結論に達してしまうのかは謎なんですが、そのお気に入りは概して海外組から構成され、海外組のいないDF陣はメンバーを早々と固定。

 いわゆる鹿島枠は最終的に柳沢・小笠原しか残らなかったことを考えれば、実はそれほど重要視されておらず、単に当初は鹿島の選手しか満足に知らなかったというだけだったのかもしれません。

 「お気に入り」は多少不振だろうと、コンディションが優れなかろうと、果ては所属クラブで試合に出ていなかろうとスタメン起用。前日発熱している選手すら平気で起用しました。

 早くからメンバーを固定し、何度も実戦を積ませることで連携強化、あるいは選手同士のアイデアのシンクロといったものを狙ったのかもしれませんが、その副作用として選手層の弱体化を引き起こしてしまいました。本番直前での加地の負傷が豪州戦敗戦の遠因となったのは、バックアップメンバーの薄さが実害となって表れたものという見方もできましょう。

 また大して重要でもない親善試合に海外組を頻繁に呼んだため、海外組はコンディションを崩し、また所属クラブでの信用が得られず、スタメンを確保できないどころかベンチにも入れない者が相次ぎました。もっともこれは選手本人の責任が大でもありますが。

 さらに早くからメンバーを固定したため、新戦力の発掘は至っておざなりになってしまいました。「アテネ世代」の登用が結局駒野と茂庭だけに留まったのは、単にアテネ世代に有力な人材がいなかった結果なのかもしれません。しかし、遅れて海外に渡り、しかも海外組で最も実績を上げている松井が大して機会を与えられなかったのは実に不可解でした。またDFに高さが足りないと言われ続け、さらに対戦相手にその高さの不安が最も露呈すると思われる豪州が含まれたにも関わらず、日本のDF陣で最も制空能力が高い闘莉王を一度も代表に呼ばなかったのも誠に不可思議でした。

 スタメンを早々と固定したことでサブメンバーのモチベーションが低下したとも言われていますが、これは客観的に確認しようがありません。ただそれに関連する出来事として「キャバクラセブン」事件は記憶されるべきでしょう。残念なことに、これで監督の信用が失墜したのか、それまでレギュラー格だった山田暢久はその後代表に呼ばれることはありませんでした。大久保が代表に呼ばれなくなったのも同時期です。

 様々な副作用を生みながらも、このお気に入り重用策は気に入られた側にとってはさぞかし居心地が良かったことでしょう。

 ジーコが前任のトルシエと極端に異なっていたのは協会、あるいはそれを代表する川淵キャプテンとの対立がほとんどなかったこと。また05年11月のアンゴラ戦(国立)で対戦相手が二転三転するという大失態があったことに例示されるように、この4年間のマッチメイクには疑問が多々あったにも関わらず、ジーコはさしたる文句も言わず淡々と親善試合をこなしました。スポンサーを含め、自分を引き立ててくれた協会の方々への恩義を忘れない、実にジーコらしい情の厚さが見て取れます。もっともマスコミの舌鋒がジーコに対して終始及び腰だったのは、ジーコの情に絆された結果なのかどうか、甚だ怪しいところですが。

 しかし、残念ながら経験のなさゆえジーコには

・中長期的なチーム育成計画策定
・選手選考
・戦術浸透
・個々の大会中のゲームプラン作成
・敵情分析

等監督として必要な能力はいずれも皆無に等しかったと思います。

 就任当初は秋田・服部・名良橋・森岡といったベテランDFを起用。FWには中山すら徴集しています。若手を試したけれども成果が出ず、結果的にアジア予選や本戦でベテランが起用されるのならまだしも、就任当初からベテランを呼ぶとは06年へ向けての中長期的育成計画なんぞジーコがハナから持ち合わせていないのは明白でした。

 選手選考の問題点は先に上げた通り。

 戦術らしい戦術を授けないのもジーコの最大の特徴。前任のトルシエが極端にチームに戦術的制約を与えるタイプで、この戦術が機能しない時の手詰まり感が著しかったため、それを打開する策として選手の自由度・自主性を重視するのは悪くは無いのですが、そのベクトルがまた極端に逆を向きすぎました。

 もっともお粗末なのは、メンバーを固定しているにも関わらず守備の約束事が最後まで形成されなかったこと。ボン合宿でレギュラーのDF陣が幾度も話し合いの場を設けているとは呆れて物が言えません。

 また思うように点が取れなかった試合の後は猛烈なシュート練習。代表チームというのはただでさえ連携を強化する時間が少ないのですから、他にもっとやるべきことがあるでしょうに。

 結局のところ攻守とも組織性を高めることはできず、個々人の能力が露骨に問われるハメに。それでもアジアレベルはなんとか凌ぎきったものの、W杯本戦では惨敗。この4年間海外で通用するプレーヤーがほとんど増えず、個人能力が思ったほど伸びなかった(個人能力が高い選手を選び漏れてもいますが・・・)のにも惨敗の一因はあるでしょうが、個人能力で劣るところを組織でカバーするというごく当たり前のことが全く出来なかった、あるいはやろうともしなかったジーコの責任は極めて重大です。

 どの大会でもメンバーを固定して臨むジーコの性癖は「個々の大会中のゲームプラン作成」や「敵情分析」の能力がないことの裏返しではないでしょうか。よく言えばいつでも自然体。相手の弱点を突いた、あるいは限られた場面でしか使いようのない秘密兵器的な選手起用というものはほとんどありませんでした。2度のコンフェデ、W杯本戦という世界レベルの大会で一度もグループリーグを突破できず、酷暑の重慶でも敗退寸前にまで至ったのはこれらの能力を欠いていることの表れでしょう。

 何かと批判の多い「選手交代」はジーコの乏しい監督能力の中ではマシな方でしょう。やや交代が遅いきらいはありますが、スタメンの中でダメな選手を見極めて手当てするのはまずまず(少なくともトルシエよりは格段にマシ)だったと思います(そもそもそのスタメンがダメなことに気づかないのが困り物ですが)。勝負には徹底して拘り、終了間際の同点・逆転劇が非常に多かったのも特筆すべきことでしょう。ただ、その比較的マシな能力が肝心のW杯本戦で発揮されなかったのは残念でした。

 また能力が無いなりに一生懸命取り組んでいるのであれば多少同情の余地がありますが、Jリーグのシーズン中にも関わらず頻繁にブラジル本国で休暇を取り、クラブで活躍中の視察を怠ったあたり、職務に誠実であるとは言いがたい所業と言わざるを得ません。もっともこれはメンバー早期固定化からくる当然の帰結なのでしょうが。

 2002年の大会では経験の無さが指摘され、06年ドイツ大会こそ「日本のゴールデンエイジ」が真価を発揮すると信じてやまなかったあの日。ベスト8は無理だとしても、グループリーグ突破ぐらいはやってくれるだろうと期待に胸を膨らませたあの日。

 だが、夢は無残に打ち砕かれました。

 さようなら、ジーコ。

 ありがとうとは決して言いません。

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 今大会惨敗の主犯はジーコではなく、ジーコに監督としての能力が乏しいことがアジア予選やアジアカップ等で何度も露呈しているにも関わらず、それを放置した川淵キャプテンにあると考えますが、それについては材料不足につき、ここでは割愛します。

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