浦和優勝-長い放浪の終わり
長い道のりだった。本当に長かった。
Jリーグ発足から14年。辛く苦しい日々が続いた。「今日こそは」と何の根拠も無い希望的観測を抱いてスタジアムに向かうものの、開始20分もすれば否応なしに現実に直面せざるを得ない。毎試合、毎試合、そんな感じだった。ハーフタイム。スタジアムの空気は絶えず淀んでいた。そこかしこでいざこざがあった。"Happy Birthday"を告げるスタジアムDJの声だけが妙に明るく駒場にこだましていた。時にカウンターサッカーに光明を見出す時もあったけれど、迷走を続けるクラブに安定した実力がつくはずも無く、やがて浦和はJ2に落ちた。
J1復帰から6年。
J2で塗炭の苦しみを味わい、二度と降格してはならないと誰もが誓ったはずなのに、クラブはなおも迷走を続けた。
浦和大改革初年-オフト監督就任-から5年。
すべてはここから始まった。塚本社長・森GMはチームの組織力向上には定評のあるオフトを監督に迎えると同時に大胆な戦力見直し・補強を進め、浦和はようやく低迷を脱してカップウィナーとなった。だが約束事の多いオフトサッカーは退屈で、相手に策を講じられると途端に手詰まりになった。リーグ制覇にはまだまだいくつもの「何か」が足りなかった。
リーグ制覇の夢が目前で潰えたCS第2戦から2年。
犬飼社長はなおも積極的な補強を進めると同時に、浦和の英雄でこそあれ監督経験のないのギド・ブッフバルトを招聘するという賭けに出た。就任間もない04年ファーストステージこそ試行錯誤に明け暮れたものの、チーム戦術が固まったセカンドステージは傑物エメルソンや新進気鋭の田中達也が猛威を奮って圧倒的な力で勝ち進んだ。一方ファーストステージの覇者マリノスはセカンドステージ不振を極めて浦和との勢いの差は明らか。誰もがチャンピオンシップを浦和が制覇するものと信じて疑わなかった。
だが、リーグ制覇の夢は目前で打ち砕かれた。急速にチーム力を向上させた浦和とはいえ、マリノスとの経験の差だけはどうしても埋めることができなかった。
それからの2年はマリノスにあって浦和になかった経験の差を埋めるための日々だったように思う。
山瀬の突然の移籍に加えて主力選手の出入りが相次ぎ、実質的には優勝争いに一度も加われなかった05年。最終的にはリーグ2位となり、天皇杯を獲得したもののクラブの実力向上という面ではいったん停滞を余儀なくされた感のあった05年の教訓を今年の浦和は見事生かしきった。
ワシントン、伸二、相馬等々大型補強を再度敢行してJリーグレベルなら「2チーム分」の戦力を確保。就任3年目となったギドは就任当初掲げていた「2点取られても3点取るサッカー」を放棄し、先制した後はカウンターをちらつかせながら守りきる実に手堅いサッカー、負けないサッカーを推し進めた。
選手も随分したたかになった。先制されても動揺しない強い心の持ち主になった。日本的な美学からすれば褒められたものじゃないけれども、終盤の時間稼ぎなんぞ心憎いばかりであった。経験を手にし、本当に強いクラブになった浦和の姿がそこにあった。
百家争鳴、五里霧中。空前絶後、阿鼻叫喚。波乱万丈、狂喜乱舞。
長い長い14年だった。
でもリーグ制覇が浦和の終着点ではない。
守成は創業より難し。
リーグ制覇を頂点にチームが急速に衰運を辿り、浦和が低迷期に逆戻りするようなことはあってはならない。2年連続リーグ制覇を経験した後のマリノスの轍を踏んではならない。今年は半ば若手登用のチャンスを潰してまで勝負に徹した面があるだけに、それだけが今は気がかりだ。
そして来年はACLを勝ち抜き、世界へ雄飛する。それが浦和の使命。
99年、世界で最も悲しいVゴールをベンチで見つめていたチキも、バルセロナと浦和がガチンコ勝負する日が来ることをきっと心待ちにしていることだろう。
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