東海道行脚8:金谷~(豊田町)
第8回:2003.03.21 金谷~(豊田町)
金谷駅を出ると東海道本線はすぐに牧の原トンネルに入ってしまいますが、旧東海道は牧の原台地をえっちらほっちら山越え。金谷坂の石畳はずいぶん真新しいように見えますが、平成3年地域住民の活躍によって復元されたものとのこと。延長430mに及ぶこの復元工事は「平成の道普請」といわれています。
坂を上りきると牧の原らしく一面に茶畑が。上写真ではわかりにくいかと思いますが、左上に見える山の斜面中腹に「茶」の文字が見えます。
間の宿「菊川」へ向かってちょっと坂を下ります。
菊川からは「小夜(さよ)の中山」の山越え。比較的平坦な道が続く東海道の中で山越えといえば箱根、次いで鈴鹿が有名ですが、金谷~日坂間の「小夜(さよ)の中山」はきつさからいえば鈴鹿と良い勝負だと思います。この辺りは国道1号から大きく外れていて人家も少なく、廃屋と見紛うばかりの商店がぽつりぽつりとあるだけ。
坂を上りきると「茶」の山が向こう正面に!
「小夜の中山」を越えると日坂宿。国道1号は通っているものの東海道本線から外れたせいか、昔の面影を留めています。
城下町掛川に突入。久しぶりに大きな街に出てきた感じがしました。東海道は掛川城をかすめるように西へと延びています。
掛川といえば山内一豊とその妻はお約束。
掛川から袋井にかけては松並木が残っています。
袋井宿は東海道五十三次のちょうど真ん中、27番目の宿。ここから見附宿へ向けて東海道は国道1号ともつれ合うように延びていて、排ガスまみれのハードな行程になりました。なお見附宿とは今の磐田。
見附に残る「旧見附学校」。明治8年に落成・開校式をあげた、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎とのこと。
見附を抜けていよいよ天竜川を渡ります。写真ではややわかりにくいかもしれませんが、長大な道路橋であるにも関わらず歩道がありません!!! 夕方の渋滞する時間帯にあたったためか事なきを得ましたが、21世紀の東海道歩きにあたっては最大の難所といっていいでしょう。
浜松宿までは相当距離があるので、途中の豊田町駅でいったん中断。
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