野次論
一昨日の日経の吉田記者のコラム。要は
「野球でもサッカーでも応援が組織化するにつれ、野次が聞こえなくなっている」「(イングランドでは)スタジアムで父から子へと野次が伝授されてゆく。こうした立派な文化の継承が日本では成されていないのではないか。」
というもの。
「野次が聞こえないのはお前が記者席にいるからじゃねぇのか?」というストレートなツッコミはさておき、ちょっと違和感を覚えました。
野球で野次が聞こえなくなったのは鳴り物を多用した応援が主流になってしまった(その是非はともかく)ことによる必然的な結果でしょう。翻ってサッカーはどうか?
浦和の場合だと駒場のバックスタンド1Fは野次らーの巣窟みたいなもんで、大久保や西など野次に過敏に反応する選手に対しては明らかに野次るのが半ば楽しみと化していました(逆に野次っても何の効果もないのが川口)。「今はもう動けないヨミウリのタケダー」とか野次のチャントまでありましたし。もっともかつての浦和は相手に対する野次よりも味方に対する野次のほうが強烈でしたがw
また某サポなんてサポぐるみ野次らーという印象がありましたし・・・
ただ器がでかくなったせいもありますし、そもそも浦和が強くなって心理的に余裕ができたせいもありますが、確かに埼スタでは野次が目立たなくなった気がします。また某サポも出島事件以降浦和戦ではすっかりおとなしくなりましたし、成績不振が相まって浦和戦に限らず相手チームへの野次自体減っているような気もします。
吉田記者の指摘は全く的外れではないと思いますが、応援の組織化と結びつけるのはかなり違うような・・・ うまくまとまりませんが、雑感まで。
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