青函往来(5・了)
旅の最後は城下町弘前。
「弘前城の桜」が全国的に有名ですが、弘前藩自体は元々4万7千石の小藩に過ぎません。後に蝦夷地警護役を引き受けることになった見返りに10万石に格上げされましたが、これは実際の加増がないいたって形式的なものだったので費用が嵩むばかりで割りに合わなかったようにも見えます。
小藩だった割りにはかなり大きな城下町を形成しているように見えますが、津軽平野の新田開発を積極的に推し進めたので表の石高よりも内実は豊かだったことの表れなのかもしれません(冷害の影響を受けやすい地方なので繁栄が安定しないきらいはあるでしょうが)。
桜の季節はとっくに終わってしまったとはいえ、弘前といえば弘前城。3層3階の随分小さな天守です。元々は5層5階の天守が建っていたのですが、落雷で焼失。約200年後(1810年)にようやく再建なって現在の姿になった模様。
天守以外に櫓として二の丸に三層の辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓の3棟、城門(櫓門)として三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門の5棟がそれぞれ築城時の姿で現存し、全て国の重要文化財に指定されています。
弘前城の周辺には規模こそそれほど大きくありませんが、武家屋敷が残っています。一般の住宅の中に点在している格好ですが、民家も武家屋敷風にアレンジされていて街の景観を損なわないように気を使っている模様。観光地然としていない、極めて自然体なところが結構好ましかったりします。
弘前も前回来てから5年くらいしか経っていないので、お城と並ぶ弘前の見所である洋風建築物巡りは省略。
駅舎及びその周辺が整備された他にはさしたる発見はなし。
P.S.
八戸で「小唄寿司」(吉田屋 1,050円)を購入。個人的にはこれが全国の駅弁の中で屈指の逸品だと思っています。しっかり脂の乗った鯖と鮭がウマー。魚を切って食べられるように三味線のバチをイメージしたナイフがついています。
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