ごらんアウェー:伊賀2007
この日は夜行バスで伊賀入り。伊賀は東京からは非常に行きにくいところ。鉄道はトロい上に本数が少なく、前述の名古屋からの高速バスを使うのが最善手かと思いますが、キックオフが13:00と早い時間だったので今回は夜行バスを使ってみました。
三角屋根がかわいい上野市駅ですが
忍者だらけかよ・・・orz
早朝から伊賀上野城を見学。
大和郡山から移ってきた筒井定次により築城されたのが伊賀上野城の興り。しかし定次は失政が少なかったようで、1608年(慶長13年)徳川家康の命により改易され、伊予から藤堂高虎が伊賀・伊勢にやってきました。
高虎は本拠地伊勢国・津城を平時の居城と位置づけて天守を築きませんでしたが、上野城は大坂城の豊臣氏に備えた戦いの城として濠を深く、石垣も高くしました。さらに高虎は層塔型の五層天守を建設したものの、竣工をひかえた1612年(慶長17年)に嵐のため天守が倒壊。その後、豊臣氏の滅亡で堅固な城が必要なくなったのに加え、武家諸法度による築城禁止の命により江戸時代を通じて天守は再建されませんでした。
現在建っている天守は1935年(昭和10年)衆議院議員川崎克の私財により天守が再建されたもの。筒井時代に三層の天守が建っていたといわれるものの確たる資料がなく、また藤堂時代にはそもそも天守が建たなかったので、史的考証の観点からは疑問符付きまくりの天守ですが、建ってから70年も経っているせいかそれなりに風格があります。また川崎氏がコンクリ造りではなく木造に拘ったところも評価すべきかと。
上野城は天守ではなく高石垣が最大の見所。高さは約30mで大坂城に次ぐ高さを誇っています。「反り」がある熊本城の石垣とは対照的に上野城の石垣は急勾配かつ直線的なのが特徴。
天守の建つ本丸東側に一段高く石垣が組まれた曲輪があります。一見するとこちらが本丸のように見えるくらいですが、それもそのはずでこちらは筒井氏時代の本の丸。後の藤堂氏時代には城代屋敷が置かれたところです。
伊賀といえば欠かせないのが忍者屋敷見学。
旧上野市も地方都市の例に漏れず上野市駅を中心とする市街地中心部の空洞化が進んでいて、郊外(といっても上野市運動公園の近くですから中心部からそれほど遠くではありませんが)の幹線沿いに大きなスーパーが建ち、その周辺に外食・ホームセンター・紳士服等のチェーン店が立ち並ぶという典型的な今時の田舎町の様相を呈しています。
たぶん伊賀の選手達はオークワで買い物して、隣の王将で飯食って帰るというのが休日の黄金リレーパターンになっているのでしょう。
関西圏に入るとつい「餃子の王将」に入ってしまうワシもいかがなものかと思います・・・orz
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