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2007.11.02

館林拾遺

前回からの続き)

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 丸屋根が印象的な館林駅。1907年(明治40年)開業以来同じ姿を保っているとのことですが、当時としては相当斬新なデザインに見えたかもしれません。橋上駅化&東西駅広場の整備計画が持ち上がっているようですが、幸いにも現駅舎は東口にそのまま残される模様。

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 駅舎は斬新ですがプラットホームは屋根といい、柱といい、私鉄というよりは国鉄の臭いがプンプンします。

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 館林はなぜか狸が目立ちます。なんでもおとぎ話「分福茶釜」に出てくる茂林寺がこの館林にあるとのこと。

「分福茶釜」といっても、ワシは茶釜に化けた狸が火に掛けられて「あーちっち、あちっ、燃えてるだろうかぁー」というところぐらいしか覚えていなかったするのですが、詳細はこちら参照。「最初から茶釜に化けずに、たぬき親子の曲芸で食えたんじゃね?」というツッコミは避けられないかと。

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 宇宙飛行士向井千秋氏が館林の唯一の有名人? 向井千秋氏が初めてスペースシャトルで宇宙へ飛び立ったのが94年。2回目が98年だからもう10年近く前の話ですからもう知らない人が結構いるかもしれません。看板のくたびれ具合が時の流れを象徴しています。でも日本人女性で初の宇宙飛行士ということで当時は相当話題になりました。

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館林城は沼を外堀として利用している点に特徴がある平城ですが遺構らしい遺構はほとんどなく、城跡には市役所等公共施設が建ちまくりで、わずかに復元された土橋門があるくらい。

館林城は長らく長尾氏と北条氏の係争地となっていましたが、徳川家康の関東入府に伴って徳川四天王の一人として知られる榊原康政が館林藩10万石の城主として封じられたのが一大転機。榊原康政は城や城下町の整備に尽力しました。

その後館林藩は藩主が転々と代わり、徳川綱吉が25万石で来たかと思えば、ある時期は廃藩となるなど極めて不安定。それに伴って城も増改築されたり、逆に捨て置かれたりしたようです。

おまけに明治7年になって城の大半が焼失。見るべきものがほとんど残っていないのもやむを得ないでしょう。

(了)

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