越前紀行(3)
(前回から続く)
周知の通り越前の朝倉氏は戦国時代屈指の大大名なんですが、江戸期まで大名として生き残った上杉氏・毛利氏・島津氏や、朝倉氏と同じように戦国期で滅亡した武田氏・北条氏と比べると人気も薄く、観光のネタにされることもなく、傍目にはなんとなく「なかった」ことにされているような気がします。
駿河の今川氏も似たような感じですが、やっぱり負け方・滅び方の印象が良くないせいなんでしょうなぁ・・・ 浅井氏共々織田信長と対決したものの終始腰が引け気味。当主朝倉義景は家臣の信任を失い、最後は織田にボコボコにされて一乗谷炎上ですからなぁ・・・
なんてことを言っていると地元の方から怒られそうなので、戯言はこの辺で終了。「朝倉氏ゆかりの滅びの都」である一乗谷へ行ってきました。
朝倉館跡の象徴のように紹介されることの多い唐門。
しかし、これは朝倉時代の遺構ではなく、5代義景の菩提を弔うために 建てられた松雲院の寺門で、豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられています。
広大な朝倉義景館跡。
館跡には礎石が並ぶばかりで相当妄想を働かせない限りさほど面白いものではありませんが、裏山を登ると庭園が残っています。上写真は湯殿跡庭園。
こちらは諏訪館庭園。大きなヤマモミジが印象的。 史跡なんであれこれ手を加えるわけにはいかないのでしょうが、掃除して水路や足回りを整備すえばそのまま第一級の日本庭園として即座に使えそうですね。
一乗谷の南入り口を固める上城戸。 現在の交通路だと福井市中心部に近い北側から一乗谷に入るのが普通なので南入り口が「上」というのは妙な感じがしますが、こちらが京都に近いので「上」。
こちらは北の入り口を固める下城戸。上城戸は土塁しかないのに対し、下城戸は一部が石垣で固められています。
(続く)
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