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2008.01.31

【TV観戦記】日本 3-0 ボスニア

 ボスニア・ヘルツェゴビナは長身DFが居並ぶ最終ラインがやたら堅いだけで、それ以外は全くといっていいほど見所なし。とりわけ中盤のプレスが緩く、日本が狙いとする「近接した選手間でのダイレクトパス交換による局面打開」で自信をつけるには手頃な相手でした。

チリ戦、特にその前半は相手のプレスがきつくて思うようなパス回しができませんでしたが、この日はダイレクトパスが簡単に回り、しかもパス回しが自己目的化することなく、時折大きくサイドへ展開してチャンスを作る場面も見られました。右SB内田は立ち上がりから果敢に攻撃参加。後半は駒野も攻撃に加わり、日本は事実上2バック状態。

 ただ残念ながら形は山のように作るものの決定機には至らないというのはオシム時代から続く日本の問題点。長身DFに対してハイクロスを入れても全く意味がないので、マイナスのグラウンダーパスを入れてみたり、最前線でスルーを噛ましてみたりと工夫は見られましたが、残念ながら決定機は僅少(中央でフリーの遠藤がトラップミスで撃てなかったとか、右サイドでどフリーの内田がなぜかシュートを撃たなかったとか、山瀬のシュートがコロコロだったとか、惜しい場面はありましたが)。

 もっとも先制点に結びついたセットプレーは長身選手が多いボスニア・ヘルツェゴビナに対して工夫を積み重ねた結果がでたといってもいいパターンでしたから、練習試合の甲斐はあったというべきでしょう(目先のタイ戦には直結しそうにありませんが)。

 後半半ばからボスニア・ヘルツェゴビナは完全に足が止まってしまい、山瀬の飛び出しが立て続けに炸裂して2点追加。ああいう「パスが出てくるのを信じて後方から飛び込むプレー」は山瀬の真骨頂。

今野のカット→大久保のスルーパスを受けてのカウンター攻撃が嵌った2点目もさることながら、FK→播戸の落としに走りこんだ3点目は山瀬ならでは。勝負もついてダレがちな状況下であそこに走りこめる選手はなかなかおらんでしょう。

ただチリ戦同様、手数をかけないほうが得点機になるというのは本来の狙いとは違うだけに痛し痒しかも。

 守っては前半カウンターに対する脆さを垣間見せたくらいで、あとは全く問題なし。1点先行してからは寄って集ってボスニア・ヘルツェゴビナのボールホルダーにプレスをかけて簡単にボールを奪っていましたが、このレベルの相手ならイメージトレーニングの域を出ないかも。

 まぁさすがにタイ戦でボロを出すことはないでしょうが、こういう甲府的な「魅力的ではあるけれども尻が軽いサッカー」でどこまで闘えるのかが見物。Jリーグにおける甲府の位置と世界における日本の位置は似たようなもの、あるいは日本のほうがより劣位といって差し支えないでしょうが、多分このサッカーで闘えるのはアジア最終予選まで。それ以後はまた岡田監督のリアリズムが顔を出してくるんじゃないかなぁ・・・ SB内田の軽い守備はアジア最終予選すら通用しそうにないけどw

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<スタメン>

---高原---巻---
-----大久保----
-遠藤-----中村憲-
-----啓太-----
駒野-阿部--中澤-内田
-----楢崎-----

チリ戦からGK川口→楢崎、MF山岸→大久保と変更は2名のみ。

<34分:巻負傷→山瀬>

---高原--大久保--
-----山瀬-----
-遠藤-----中村憲-
-----啓太-----
駒野-阿部--中澤-内田
-----楢崎-----

<終了時>

---羽生--播戸---
-遠藤------山瀬-
---今野--啓太---
駒野-阿部--中澤-内田
-----楢崎-----

78分:中村憲→今野
79分:高原→播戸 (高原も負傷の模様)
88分:大久保→羽生

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2008.01.30

幻の長崎遠征(3)

幻の長崎遠征(2)から続く

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 あの駒場での惨敗さえなければ、俺達はここに来るはずでした・・・(つД`)

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 いかにも国体用に作った風の総合運動公園。諫早駅から山を一つ挟んだところにありますが、十二分に歩けるところ(浦和駅→駒場と似たような距離)にあります。道中コンビニやファミレスもあり、飲食に困るようなこともありません。

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 夕陽を浴びるメインスタンド。これまたいかにも国体然とした、ふた昔くらいの素寒貧なスタジアムです。誰もいないかと思ったらさにあらず、高校生が周囲で練習していました。

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 特に遮るものはない(といってもさすがに中へは入れませんが)のでスタジアム内を覗いてみました。さすがJ1規格を満たすだけのことはあって、ご立派なものです。ただぱっと見たところスタジアム内に売店スペースが少ない感じでした。

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 とはいってもサイドスタンドがありません。西京極のようにアウェー側が半欠けだとか、桃太郎や博多の森のように形ばかりのサイドスタンドというのは目にしましたが、「全くない」というのはJ1規格のスタジアムでは初めて見ました。

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 本当は俺達が押し込められるはずだった自由席。バックスタンドの両端は手すりのみの立ち見席でした。前のほうは高さがなくて観戦には不適当です。

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 俺達が並ぶはずだったゲート。

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 手すりの塗装がはげてボロボロなのはうぃあーの仕業ではありません。

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 日没が迫ってきましたのでボチボチ撤収。メインスタンドは高さも十分。これならバックスタンドと料金差をつけるのは納得が行きます。

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P.S.

 公園近くの売店でとんでもないものを見かけました・・・

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2008.01.29

笑いの王国

G大阪が遼&橋下知事と“コラボ”(報知)

 G大阪が今季の超目玉イベントとして、橋下徹・大阪府新知事(38)、プロゴルファーの石川遼(16)との“コラボ”を検討していることが28日、分かった。過去には太田房江・前知事を主催試合に登場させたこともあるだけに、関係者は「きっかけがあれば来てもらえることになるでしょう」と話す。チームのメーンスポンサー、松下電器産業と5年間の所属契約を結んだ石川についても、クラブ幹部が「ジョイントできれば大きな集客にもなるはず」とラブコール。始球式などに招く案が企画される。

(2008年1月29日06時00分  スポーツ報知)

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|-`).。oO 石川選手は埼玉出身で、レッズファンであることを公言しているのを知っての所業でしょうか???

それはともかく、先般のUSJパレードといい、セパ阪はこういう一般ウケする話題づくりがホンマ好き。

川崎のお笑いイベントはベタであり、またそれなりにクォリティーが高いのだけれど、如何せんJリーグを見ている人以外へのアピールに欠けるのが難。それでもなんとか場を盛り上げようとする意気込みは買えます。

そういえば、鹿島のディズニーランドパレード計画はその後どうなったのでしょうかね?

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幻の長崎遠征(2)

幻の長崎遠征(1)から続く

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 「葉隠」で有名な鍋島氏の城下町佐賀。っちゅーても葉隠自体を知らん方が急速に増えているでしょうなぁ・・・ 現在の佐賀県と長崎県の一部にまたがる35万7千石の大藩だったのでさぞかしご立派な城が建っているのだろうと期待して出かけると、城跡はものの見事に公共施設で埋め尽くされ、水堀が若干残っている他はわずかに鯱の門(上写真)が現存するのみ。明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失してしまったので致し方ないといってしまえばそれまでですが。

 かつては幾重にも外堀を巡らし、城が攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていて、「沈み城」とも呼ばれたそうですが、今となっては相当妄想を働かせないと往時を偲ぶことはできません。

 但し、唯一残った鯱の門は横矢を射掛ける続櫓を従え、なかなか威圧感があります。

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 門の脇にアームストロング砲が展示されていました。アームストロング砲は幕末戦乱時の最新式の大砲で、佐賀藩がこの砲で彰義隊を撃滅。端的にいえばアームストロング砲を佐賀藩が持っていたことで「薩長土肥」の「肥」に名を連ねることができたようなものです。もうちょっと砲身が長いものと思っていたですが、外見は幕末物ドラマに出てくる大砲と大差ありません。

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 雄藩の一つであった佐賀藩の名残が鯱の門だけではあまりにも寂しいと思ったのかどうか定かではありませんが、本丸に建っていた学校を移転させて、その跡に「本丸御殿」を再建したのは快挙といっていいでしょう。再建にあたっては発掘調査で確認された棟割・部屋割と古図、写真等が利用されたとのこと。

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 御殿内は佐賀藩の歴史を紹介する資料館として活用されています。もっともただ畳を敷き詰めただけの部屋も多々あって、JAFCに「時代劇をやれ!」とばかり誘っているようでもあり・・・

 なお「本丸御殿」は一定の入場料を取るのではなく、満足度に応じて寸志を置いてゆくという「チップ制」を採用しています。

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 佐賀城にはかつて1611年(慶長16年)に鍋島勝茂がいったん五重の天守を完成させたものの、1726年(享保11年)に大火で焼失。以来再建されず、今は天守台だけが残っています。

 なお本丸御殿も同時期に焼失。その後二の丸に御殿完成(1728年)→火災で焼失(1835年)→本丸御殿再建(1838年)→解体(1920年)という歴史を辿っています。

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 博多・久留米の「とんこつラーメン文化圏」と長崎の「ちゃんぽん文化圏」に挟まれて些か影の薄い佐賀のラーメン。とはいえ、福岡の強い影響下にある佐賀のことですからそれなりに旨いラーメン屋もあるだろうと思って出掛けてみました。

 佐賀城近くにある「一休軒本店」。いかにも老舗然とした店構えです。暖簾をくぐると店内は9割がた埋まっていて人気店の様子。L字型カウンターと奥にテーブルが2卓ほどといったさほど大きくもない店で、夫婦2人で切り盛りしていました。その後も三々五々お客さんがやってきます。早速ラーメンを注文。550円也。

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 いなり3個(200円)やおにぎり2個(200円)といったサイドメニューがある他、大盛(700円)との表示があるところからすると替え玉はやっていないのかもしれません。

 店内に充満するとんこつ臭に少々脳をやられながら、本格的な濃厚とんこつらーめんが出てくるものと期待して待っていたのですが・・・ ちょっとスープ薄くね?良く言えば雑味がないともいえますが・・・ 麺も柔らかめの仕上がりで好みとは外れ(硬めの注文はできるようです)。うーん、店の外観から期待感が高まったあとだけに少々がっかり感を抱いて店を後にしました。

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 佐賀城見物を一通り終えて佐賀駅へ戻る道すがら、小腹が空いたので偶然見かけたラーメン屋「かどや」に突入。「一休軒本店」とは対照的に、いかにも今風の小じゃれたラーメン屋です。コの字型カウンターがあるだけの小さな店ですが、食事の時間帯から遠く外れていたので店内は閑散。

 濃厚とんこつが売り物の模様。赤・白・黒と3種類ありましたが、赤を注文(550円)。店内の能書きによると「トウガラシ、コチュジャン、にんにく、ゴマ、鶏ガラで仕上げた」云々とありました。

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 麺は極細ながらコシがしっかり。麺を硬めにしてもらったこともあって好みどおりの出来に。スープも看板に違わない濃厚風味なのですが、とんこつの臭みはほとんどありません。この辺は東京ナイズされたとんこつラーメンとそっくり。旨いことは旨いのですが、なんかどこかで食ったような味。何に似ているのかなぁ・・・

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2008.01.28

浦和レッズレディース2008

08年の人事情報を簡単にまとめてみました。

<監督>永井→村松

<選手OUT>
・DF 西口
・DF 笠嶋
・MF 吉田
・FW 中池

<選手IN>
・FW 堂園(神村学園高)
・DF 千野(Jr.レディース)

<背番号変更>
・3 笠嶋→矢野
・5 西口→百武
・11 中池→窪田
・20 吉田→堀田
・23 百武→堂園
・24 堀田→千野

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何分レディースの人事は公開情報がほとんどない(逆に口コミ等によって得た情報はブログには書けない)ので、その異動については推測に推測を重ねるしかないのですが、傍目には選手たちに支持されているように窺われた永井監督の交代は少々驚きました。

昨年は日本代表の矢野や庭田・土橋といった有力選手を補強したにも関わらず06年から順位を一つ下げてしまった責任を問われたのかもしれません。ゲーム内容も波が大きく、ペルーレに勝ち、ベレーザに善戦したかと思えば下位チームどころか高校生相手に大苦戦してしまうこともありました。

アカデミーセンター長からの横滑りで新監督になられる村松氏はこれまで若年層の指導に当たられた経歴が長いようですが、女子の指導は初めて。女子サッカーはそもそも指導者層が極端に薄くて、外部から適任者をホイホイと連れてくるわけにもいかないのでしょうが・・・

新加入選手は共に高卒で即戦力クラスの補強はなし。ここ2年は他チームで実績のある選手や大卒選手の獲得に力を入れてきたので、高卒選手の獲得はGK小金丸以来でしょうか? 登録選手は2名減(もっとも吉田選手は昨シーズン初にコソーリとメンバーリストから外れてしまったので、実質1名減)。

もっともペルーレは親会社が大変なことになっているので、今後一波乱あるかもしれませんが・・・

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【参考】浦和レッズレディース2008

1GK 山郷のぞみ
2DF 田代久美子
3DF 矢野喬子
4DF 森本麻衣子
5DF 百武江梨
6MF 木原梢
7MF 岩倉三恵
8MF 高橋彩子
9FW 北本綾子
10MF 安藤梢 
11FW 窪田飛鳥
12DF 笠井香織
13MF 庭田亜樹子
14MF 保坂のどか
15MF 法師人美佳
16GK 小金丸幸恵
17MF 伊藤知沙
18MF 柳田美幸
19FW 若林エリ
20FW 堀田えり子
21FW 松田典子
22DF 土橋優貴
23FW 堂園彩乃
24DF 千野晶子

監督 村松 浩

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幻の長崎遠征(1)

 駒場でJ2愛媛に不覚を喫して5回戦のチケットがパーになっただけではなく、特割で買っておいた飛行機代もパー。でもせっかく休みも確保したことだし、飛行機のキャンセル料もバカにならないので、悲しみを堪えて長崎までノコノコ出かけてきました。

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 もっともそうはいっても長崎市は2006年に行ったばかりなので、今般はその周辺をウロウロ。とりあえず長崎へ行く途中に佐賀へ立ち寄ってみました。

 佐賀といえば唯一無二の観光地が「吉野ヶ里公園」。福岡空港から佐賀行きの高速バスが一日一本だけ吉野ヶ里公園を経由するのでそれを利用。バスは公園東入口前に着きます。

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 吉野ヶ里には最寄の「吉野ヶ里公園駅」が出来たころに一度行ったことがあるのですが、発掘が進むにつれて公園の規模が拡大したようです。大人になって子供の頃遊んだ公園の狭さに驚くのはよくある話ですが、「こんなに広かったけ???」と驚くのはちょっと新鮮。

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 JAFCに「来い」と言わんばかりの企画も。たぶんじょうじさんが鳥栖戦のついでにここに来てくれることでしょう。

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 南内郭へ通じる門。冠木の上に鳥型の飾りがついています。

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 内郭は塀で囲まれているだけではなく、深い堀が巡っています。さらに堀に沿って逆茂木も。

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 門の両脇を固める櫓門。

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 さらに南内郭に建つ物見櫓。

 なお遺跡の調査でどこに柱が立っていたとか、いわゆる平面の構造は粗方判るのですが、立体復元には他の遺跡や中国の文献・関連資料等を参考に考古学・古代建築学・民俗学・生活史等々学際的な検討が必要で、なかなか奥が深いようです、

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 物見櫓に登って北内郭方面を眺めたところ。

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 西側には倉庫群や市場。堀や柵がうねうねと伸びています。

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 公園の係員は揃って古代人風(?)の作務衣を身にまとっています。 平日かつ観光にはオフシーズンとあって観光客よりも係員のほうが多い按配。あまりにも暇なせいか、イベント用の小道具をせっせとこさえているとのこと。

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南内郭には王とその家族が暮らしていた家がありました。その様子を人形で示していますが、 胸元がはだけ気味なのでなんとなくセクシー・・・

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 北内郭には今のところ最も大きな建造物と思われる主祭殿が建っています。吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられています。

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 2Fでは会議の様子を再現。

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 3Fでは巫女が祖霊からのお告げを授かっています。いわゆる「神がかり」です。

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 北内郭を出て南に下ると倉庫が立ち並んでいます。倉庫には穀物・稲籾なども収められていますが、武器庫もあります。

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 公園の西側の出口に近い一帯には水田が復元されています。冬というのに水を抜いていない水田というのは妙な感じがしますが、「湛水栽培テスト中」とのお知らせが出ていました。

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 でも観光地に蛇っちゅーのは嫌でございますなぁ・・・

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 帰りは西口ゲートから出てJR神埼駅まで歩いてみました。上写真は神埼駅前に立つ像。ここまで来るとなんかやり過ぎのような・・・

(続く)

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2008.01.27

銚子電鉄(下)

前回から続く)

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 銚子電鉄沿線の見所といえば犬吠崎がお約束。何回か来たことがあるはずですが、風光明媚なところは何度来ても飽きません。灯台周辺で犬を何匹も放し飼いにしているアホがいて難儀しましたが( ゚Д゚)ゴルァ

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 犬吠崎最寄の犬吠駅。ポルトガルの宮殿風建築だそうなんですが、潰れかかっているラブホテルのようにしか・・・ 観光振興を図ったつもりなんでしょうがスベリまくりな犬吠駅。金の使い道を間違ったとしか言いようがないような・・・ っちゅーか、この駅舎改築は後に横領問題を引き起こして銚子電鉄を苦境に陥らせた内山健治郎氏の銚電社長就任直後に実施されていますからいやはやなんとも・・・

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 銚子電鉄といえば「ぬれ煎餅」が有名ですが、他にも他社と提携して銚電ブランドの商品開発を進めている模様。佃煮は海産物と醤油に恵まれた銚子のお土産としては煎餅より適しているように思います。他にも日本酒「でんでん酒」や「豆乳ジェラート」を見かけました。観音駅の「鯛焼き」は濡れ煎餅と並んで有名ですね。

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 銚子駅に戻って駅近くにある「ヤマサ醤油」の工場に行ってみました。「お気軽に」と書いてはあるものの、トラックが頻繁に出入りするいかにも忙しそうな工場にアポなしで突っ込む勇気のある人はそうはおらんでしょう。

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ということで工場見学は省略して再び銚子電鉄見学。

 「ヤマサ工場前」と称してもなんらおかしくない仲ノ町駅。ここに銚子電鉄の車庫があります。

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 銚子電鉄の顔といっても良い凸型機関車(デキ3)が寝ていました。既に現役を退いており、残念ながら営業運転に戻る見込みは立たずに永遠の眠りについている状態です。その横で寝ているのは電車最古参のデハ702。

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 銚子駅で発車を待つデハ1001。2007年4月26日から3年間の予定で、ゲーム『桃太郎電鉄』シリーズ20周年記念のラッピング車両になっています。いうまでもなくハドソンによる銚子電鉄支援の一環。

 昨冬公式サイトでの「ぬれ煎餅を買ってください」の呼びかけが話題となり、無事車両検査代、枕木代等を稼ぎ出してとりあえずは無事運行を続けている銚子電鉄。しかし、ぬれ煎餅の売上が鉄道事業売上の倍以上にものぼり、「煎餅で電車を走らせている」としかいいようがない、鉄道会社としてはあまりにも歪な収支構造は気になるところ。ちょっとでも銚子電鉄に乗って本業を助けるのは鉄の重要な務めだと考えます。

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2008.01.26

銚子電鉄(上)

 佐原に出かけたついでに「ぬれ煎餅を買ってください」で昨冬一躍全国的に有名になった銚子電鉄まで足を伸ばしてみました。

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 銚子電鉄の改札はJR銚子駅2・3番線ホームの先。田舎ではいったんJRの改札口を出て、独自の改札を通す私鉄・3セクが少なくない中、利用者の便宜を最大限に配慮しているのはありがたい限り。

 銚子電鉄はわずか6km強のミニ私鉄にも関わらず、終点外川まで310円と埼玉高額鉄道並に高い!

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 往復乗車券や一日乗車券は車掌から購入。そのため銚子電鉄に乗る客はその旨を申し出ればキップなしでJRの改札を通してくれます。

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 2駅目の観音でかなり降車客があり、観光客の大半は犬吠で下車。終点外川まで乗るのはやはりマニア層w

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 どう見てもその筋の方に支えられている銚子電鉄。

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 でも手作り感覚の地元商店の吊り広告には心和みます。

(続く)

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2008.01.25

オールスターが日韓戦に?

以前弊ブログでもオールスターの存在意義について論じましたが、ようやくJリーグが動き出したようです。

現在のオールスターは「マスコットの運動会」が最大の見所と化しており、試合は事実上おまけ。日頃からJリーグを見る人のためだけのイベントになっています。これでは過密日程の中、リーグ戦を平日開催に追いやってまで開催する意義があるとはいえないでしょう。

オールスターを継続する意義があるとすれば、是非とも普段Jリーグを見ない人にJリーグを見てもらうための切っ掛けとなりうるイベント・お祭りでなくてはなりません。その点「日韓戦」のアイデアは発想として悪くありません。人寄せパンダとして欧州から超有名選手を呼ぶよりはいいかと思います。

鬼武チェアマンはどうも現状維持的というか、規定路線を踏襲するだけの人というイメージを拭いきれないのですが、本件は実現に至るのでしょうか?

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「J対Kリーグ」マンネリ球宴一新“日韓戦”プラン

 今年からオールスターサッカーが、Jリーグ選抜―Kリーグ選抜の“日韓戦”となる計画があることが24日、分かった。Jリーグ鬼武健二チェアマン(68)が、韓国のKリーグ、日本のスポンサーなどと開催地を巡り話し合っていることを明かした。今年は8月2日を予定。レベルが高い外国人選手も参戦するリーグ対抗のオールスター戦は、A代表の日韓戦とは一味違った華やかなゲームとなりそうだ。

(中略)

 ただ、問題も残されている。両国ともに日程が詰まっており、オールスターは年に1度しか開催できない。つまり、ホームゲームは隔年となる。「日本で開催できない年があることは困る。その辺の問題について、Kリーグ側、(スポンサーの)JOMOさんと話し合っています」と鬼武チェアマンは説明した。

(後略)

(2008年1月25日06時02分  スポーツ報知)

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伸二、ボーフム移籍決定

公式発表ではありませんが、伸二のボーフム移籍が決まったようです。

依然足首痛が完治していない伸二を、残留争いに巻き込まれていて即戦力が必要なボーフムが慌てて採ることはあるまいとタカをくくっていたのですが、意外や意外、とんとん拍子に話が進んでしまいました。ボーフム、浦和とも何かビジネス上の判断が加わった気が無きにしも非ずのような・・・

浦和としてもポンテがしばらく戻ってこれず、一応トップ下が出来る長谷部もいなくなってしまったというこのタイミングで伸二が抜けてしまうのは痛手。

ただ昨年の伸二はオジェックとの確執を取り沙汰され、また相変わらず故障にも悩まされてか、CWCの終いにはベンチにも入れない有様。果たして今季のオジェックの戦力構想に入っているのかどうか、やや怪しいところがありました。浦和が引き止める様子がないところからすれば、もともと戦力外だった可能性はきわめて強いと思います。

またやや長い目で見ても伸二のパフォーマンスが「移籍金250万ユーロ  3年契約 年棒1億8000万円」と言われた巨額投資に見合ったものではなかったのも確か(まして固定給とは驚きました!)。06年に浦和へ復帰しましたが、フェイエノールト在籍時と同様に怪我に悩まされ、また運動量が少ないポンテと伸二を2列目に併用すると、これまた運動量が少ないワシントンの孤立傾向が高まってしまうという戦術的な問題もあって、伸二の活躍の場は次第に狭められていったように思います。思えば伸二が輝いた試合は必ずといっていいほどポンテがいなかったような気もします(06年天皇杯磐田戦@埼スタ、07年磐田戦@エコパとか)

従って目先は打撃だけれども移籍金が取れる契約期間中に伸二を移籍させたほうが中期的には得策と浦和が判断しても不思議ではありません。いや得策どころではなく、今年大型補強を敢行したため、高年棒の伸二放出が資金面で必須だった可能性すらあります(昨年の阿部獲得やその前のマルケス獲得見送りの経緯からすれば、浦和は金を持っているようで意外に慎重です)。

浦和に帰ってきたときには予想だにしなかった、やや残念な別れになってしまいました。しかし、思うような仕事ができず、傍目にもやや苛立ちを隠せないように見える伸二にとって環境を変えるのは悪くないことかもしれません。伸二にとって良い移籍であって欲しいものです。

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小野、ボーフム決定!活躍次第で浦和での年俸超えも(報知)

 浦和MF小野伸二(28)が、ドイツ・ブンデスリーガ1部13位のボーフムに移籍することが24日、決まった。小野は沖縄で第2次自主トレを行っており、28日にも渡欧して正式契約を結ぶ予定だ。

 ボーフムから、2度目の完全移籍のオファーがこの日朝、浦和に届いた。浦和の中村修三GMは「条件面は前回より向上した。レッズに絶対必要な存在だが、伸二本来の輝きを取り戻すために無理に引き留めるわけにいかない」と説明した。

 関係者によると、14日の初回オファーから浦和側の要望で条件が引き上げられ、大筋合意に至った移籍金は2回払いで総額50万ユーロ(7750万円)。複数年契約となるが、異例なのが年俸だ。

 基本部分は推定60万ユーロ(9300万円)で、浦和での日本人最高年俸の1億8000万円から半減となるが、出場給などのプレミアムを合算すると「現在の年俸を当然超えます」とボーフム関係者は証言。浦和では完全固定給で、1試合90万円の勝利給などは対象外だったが、今回はパフォーマンス次第で大幅昇給を勝ち得る契約となる。

 小野は4日に一度渡独し、施設見学とメディカルチェックを済ませている。ボーフムのシュテファン・クンツ強化部長は、練習参加をわずか1時間で切り上げることになった古傷の左足首の回復状況を確認することを求めていたが、2度にわたる沖縄自主トレで順調に回復。小野と契約する秋山祐輔代理人も「足首は何も問題ない」と語った。浦和の2年間では負傷の連続に苦しんだが、3年ぶりの欧州リーグでは天才完全復活と待望の日本代表復帰を目指す。

(2008年1月25日06時03分  スポーツ報知)

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2008.01.24

不思議な会場設定

リーグ戦&ナビスコ杯の日程が発表されました。

事前に流れていた噂と合致していたところが多かったのですが、数少ない驚きの一つがナビスコ第4戦・名古屋戦がなんと日曜のナイター! しかも豊田開催になったこと。

うぃあーといえども客足が格段に落ちるナビスコ杯予選ですから、今年は久しぶりに名古屋戦が瑞穂で開催されるものと思い込んでいたのですが・・・

でも日曜のナイターなら、名古屋中心部からはアクセスのよくない豊田を敬遠したいのはグラサポも同じはず。

肝心の自チームのサポにご迷惑をかけてでも、うぃあーを名古屋に入れたくないんでしょうかね?

今年も果敢に浦和戦・日本平開催に拘った清水(まぁ今年は平日なので混乱はないでしょうが・・・)と好対照な運営です。

P.S.

一方リーグ戦は瑞穂開催。全くもって名古屋が考えることは訳が判りません・・・

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浦和、グアムキャンプ日程

今朝の日経にJ1チームのキャンプ地一覧が載っていました。

浦和のキャンプインは全チームで最も遅い2/11。グアムで2/24までキャンプです。

昨年は久しぶりに早めに全日程を終了したのに始動が遅いのは、疲労回復に最重点を置いたのと代表組のスケジュールを考慮したためでしょう。代表組とそれ以外でコンディションにバラつきがあるのがオジェックにとって悩ましいでしょうが、今年はブルズカップみたいなくだらないイベントもありませんし、開幕へ向けて十二分な準備ができそうです。

なおグアムでキャンプを張るクラブはやたら多いのですが、

・札幌:1/21~2/13 (その後熊本へ)
・浦和:2/11~2/24
・大宮:1/29~2/12
・木白:1/26~2/2(その後霧島市へ)
・瓦斯:1/23~2/1(その後都城へ)
・新潟:2/2~2/16(その後静岡へ)
・大阪:2/1~2/8(その後ハワイへ)
・神戸:1/31~2/14

と浦和と入れ替わりにグアムを去ってしまうところがほとんど。練習試合の相手をしてくれそうなところは新潟しかありません。

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2008.01.23

チリ&ボスニア戦、代表メンバー

合宿メンバー選考時点で大方判っていたことですし、数少ない新顔として有力視された選手が渡欧で合宿を辞退したことでますます結果が見えていたのですが、全く波乱のない人選。オシム臭漂う現・元犬組すら誰一人抹殺されませんでした。

外れたのは西川・安田・田代・青山直・徳永といずれもこれまでA代表経験なし or 僅少のメンバー。

新顔は岩政と内田だけ。岩政は怪我で合宿不参加の闘莉王の代役という意味合いもあるでしょうが、今後CBの控えメンバーとしてコンスタントに代表に呼ばれても何らおかしくありません。

内田は日本全体を見回しても層の薄いSBのサブですが、同じくSBで同世代の安田ではなく内田を呼んだ監督の意図やいかに?

個人的には巻か矢野がアウトで田代が入ると思ったのですが・・・ リーグ戦や天皇杯の出来を見れば巻<<田代なのは一目瞭然なのですが、リーグ王者の鹿島ってつくづく代表とは縁がありませんなぁ(苦笑)

浦和からはいつもの面々。あっ、高原は浦和勢としては新顔です。で、その高原。久しぶりに見せ場到来ということでちょっと張り切りすぎなのが心配。浦和で力を発揮する前に代表で故障されてははなはだ困るのですが・・・

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GK:
川口能活(磐田)
楢崎正剛(名古屋)
川島永嗣(川崎)

DF:
中澤佑二(横浜FM)
坪井慶介(浦和)
加地亮(G大阪)
駒野友一(磐田)
岩政大樹(鹿島)
水本裕貴(G大阪)
内田篤人(鹿島)

MF:
橋本英郎(G大阪)
羽生直剛(FC東京)
遠藤保仁(G大阪)
中村憲剛(川崎)
鈴木啓太(浦和)
阿部勇樹(浦和)
山瀬功治(横浜FM)
今野泰幸(FC東京)
山岸智(川崎)

FW:
高原直泰(浦和)
播戸竜二(G大阪)
巻誠一郎(千葉)
前田遼一(磐田)
大久保嘉人(神戸)
矢野貴章(新潟)

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浦和、年頭所信表明

唐突にクラブから「2008シーズンにあたって」と銘打たれた一文が公表されました。ちょっとダラダラとした書きぶりで一部要領を得ず、おそらく27日の「KICKOFF2008」で社長やGMから補足説明があると思いますが、私なりに感じたところを記しておきます。

なお私は「KICKOFF2008」には行けないので、皆様の渾身のレポートを楽しみにしております。

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1.2008シーズンの浦和レッズは、「強くて魅力あるサッカー」をさらに求めていきます。特に、ホームゲームでは、よりアグレッシブに闘っていきます。

06~07年の浦和は結果こそ出たものの闘い方があまりにも守備的で、「この面子でこれかよ?」という批判がクラブの内外から強かったことに応えたものでしょう。特に昨年はホームゲームですら守備的に闘ったことに対し、ワシントンや岡野が表立って監督を批判するという異常事態に及んでいます。実際昨年はホームで勝ちきれず、これがリーグ優勝を最後の最後で逃す一因になってしまいました。

「守備から攻撃までの各パートについて、そのバランスを改善し、安定させていきます。とりわけ攻撃面に関しては、より速く、そして創造力あふれるものにします。」ということで、フロントはこの公約を実現すべく、今オフに攻撃的な選手を重点的に補強しました(今野の補強だけは全く解せませんが・・・)。

但し、監督を代えずに攻撃面にバランスシフトしたチームのコンセプト転換が可能なのでしょうか? 手駒の能力を見極めた上で、あるいは相手との力関係とかクラブの置かれた状況に応じて攻撃的に行くとか守備的に行くとか、そういう器用なことができる監督であれば何の心配もないのですが、一般的にリスクテイク指向とかバランス指向とかいうのは監督の個人的な嗜好に左右されがちなのではという疑念が拭い切れません。

上記の決意表明は、今シーズンの試合内容如何では、結果に関わらず監督を代える可能性があることを示唆したものと受け止めました。

2.普及・育成を行うアカデミーセンターを大胆に強化して、若手選手の育成に力を注ぎ、クラブ・チームとも昨シーズン以上に「前進」することを誓います。

「アカデミーセンター」の機能強化については既に手が打たれていて、

・横浜Mから池田誠剛氏が下部組織のフィジカルコーチとして浦和に加入
・京都から育成世代指導のスペシャリストとして知られる矢作典史氏を招へい

の2例が報じられています。アカデミーセンターの「施設の拡充」については後日発表があるのでしょう。下部組織がトップチームへの人材供給源として機能していないことは浦和が抱える最大の弱点として従前から指摘されており、当然の施策です。

普及に触れた項でレディースへの言及がないのは何か意図があるのでしょうか?

3.シーズンのクラブテーマは、「GO FORWARD HAND IN HAND」です。日本だけでなく、アジアそして世界での挑戦を見据え、ファン・サポーターの皆様、ホームタウンの皆様と手を取り合って、前を向き力強く進む決意を表したものです。

これだけだと意味不明ですが、具体策として「チームの練習環境やサポーターの観戦環境の向上を目指して、クラブハウスの増築・改修やレッズランドの整備などを検討していきます。ホームゲームの多くが開催される埼玉スタジアムも快適さを意識していきます。」と記されています。

「埼玉スタジアムも快適さを意識」とは屋根のことなのでしょうか? そういう趣旨で屋根を希望しているわけではないのですが(^^?

4.パートナーシップを結ぶFCバイエルンミュンヘンとの連携をさらに具体化させ、両クラブの発展につなげていきます。

この辺は時候の挨拶みたいなものでしょう。

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まぁ目を見張るようなことが書かれているわけでもなく、がっかりさせられるわけでもありませんが、08年の目標が

2008シーズンの目標はアジア連覇と、国内での闘いを通じて、浦和レッズの地位をより確かなものにすることです。優秀な選手たちに、国際経験を持つ新加入の選手を加えて、この目標に到達することに全力を傾けます。

と、国内リーグ制覇に関してはなぜかものすごく歯切れが悪いのはさすがに気になりました。攻撃型へチームを転換する過程においてACLとリーグの2冠達成は難しいと考えているのでしょうか?

まぁたいした補強をしていないどころか、戦力が下がっているのに崇高な目標をぶちあげてしまうクラブよりはいいかとも思いますが・・・

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2008.01.22

佐原散策(下)

前回から続く)

 佐原出身で日本史上に残る超有名人といえば伊能忠敬。江戸後期に高精度の日本地図を作成した人物として知られています。

 忠敬は18歳の時に佐原村の伊能家に婿養子に入り、以来しばらくは商人として活動。酒、醤油の醸造、貸金業等で成功を収め、かなりの財産を築きました。1794年(寛政6年)50歳の時に隠居し、家督を長男景敬に譲ったのちに江戸に出て、江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などをおさめ、1800年(寛政12年)、56歳の時に、第1次測量を開始。以後測量を重ねて作られたのが大日本沿海輿地全図です(但し、完成したのは忠敬没後の1821年)。

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 佐原には伊能忠敬の旧宅が残っています。小野川に面して、眼前に船着場があるいかにも商家然とした構え。

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 旧宅の庭には忠敬の像が。 

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 かなり童顔の爺さんです。

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 旧宅から川を挟んだところに「伊能忠敬記念館」が建っています。 予め井上ひさし「四千万歩の男」を読んでおくと展示物がより一層楽しめます。

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 よく知られていることかもしれませんが、忠敬は初めから地図作成を意図して測量の旅に出たわけではなく、元々は緯度一度の長さを測量によって正確に知りたかったというのが本意。その意図とロシアの脅威に対して蝦夷地測量を強化したい幕府の意図が合致して蝦夷地測量の旅に出たのが事の始まり。もっとも幕府は忠敬に大して期待していなかったようで、当初はほとんど忠敬の手弁当。

 しかし出来上がった地図の精度に幕府がびっくり! 第4次測量からは国家事業にのし上がって、幕府から手当ては出るわ、随行者は付くわとなったようです。

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 ちょうど昼飯時になったので「小堀屋本店」に行って見ました。創業は1782年(天明2年)。この店も江戸時代の形式そのままにつくられており、開店早々観光客で賑わっていました。メニューは地方のごく一般的な蕎麦屋同様手広く扱っていますが、真っ黒な「黒きりそば」が有名。900円也。

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 真っ黒です。黒いのはイカ墨ではなく、昆布を使っているため。

 ただ浅黒い田舎蕎麦が太くて堅いのとは対照的に、黒きり蕎麦は細くて柔らかい。いわゆる東京の更科そば風で私の好みとは正反対。やっぱり蕎麦は太くて堅くなくっちゃ(この辺、婦女子の方はあらぬ妄想に走らないように)。おまけに値段の割には量も少ない。汁もありきたりで、まぁ物の試しに一回食えば十分かと。

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 なお隣の別館は本館とは対照的に大正~昭和初期風の堂々たるコンクリ造りですが、それもそのはずで旧千葉銀行佐倉支店。

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 古い町並みを売り物に観光客を呼び込むのに成功したためか、地方都市には珍しく市街中心部の中小商店が賑わっています。もっとも市街空洞化に無縁といわけではなく、駅近くの大型店は潰れて野ざらしになっていましたが、それでも今時の地方都市の中では元気があるほうでしょう。成田が近いため、地味な観光地にも関わらず外国人観光客の姿もちらほら。

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 ただ街を歩いてみて非常に残念だったのは、観光名所が集まる通りにも関わらず車の通行が非常に多いこと。歩道が狭いのでぼんやり建物を見学していると非常に危ない。川越も似たような感じですが、観光客がさらに増えた場合に問題となるのは必至。市中心部ゆえ車の乗り入れを規制するわけにも行かず、道を広げて歩道を確保するのも難しいでしょうが・・・

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msn新潟撤退とJリーグの冬

今年の新潟の補強が昨年とは一転して随分大人しいというか、「坂本事件」のために戦力が実質マイナスになってしまったのを不可解に思っていたのですが、その背景にはmsnのスポンサー撤退があったようです。

浦和に次ぐ観客数を誇る新潟とはいえ残念ながらその人気は概ね新潟県内に留まり、しかもそれほどチームが強くないこともあってマスコミへの露出度は観客数の割には著しく低いといって差し支えありません。従ってmsnのような全国どころか世界的に事業を展開している企業が新潟をスポンサードするメリットを見出し難いと判断したものと推察されます。

福岡はさらに酷く、J加入時から一貫して胸スポンサーだった「ジョージア」と昨年まで背中スポンサーだった「ポケットバック」が共に撤退で、後任未定の模様。

地方に本拠を置くクラブで最も成功していると思われる新潟ですら資金力のあるスポンサーを継続的に確保するのが難しかったという事実は、地方クラブが都市圏のクラブに伍して戦ってゆく上で大きな桎梏になるのは間違いありません。

また新潟の成功に気をよくして、Jリーグはこれまで地方クラブの数を増やして「農村が都市を包囲する」戦略を立ててきたけれども、肝心のトップランナーだった新潟に限界が見え始めた今回のニュースはJリーグの戦略の見直しを迫ることにもなりうるでしょう。

「裾野を広げるには山が低すぎた」と思います。

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前日には久しぶりに東洋経済を購入。当然といっては何ですが、レッズの記事は全く新味なし。

むしろそれ以外のスポーツのほうに興味があったのですが、大半のボクシングジムにとって興行は赤字要因でしかないとか、バスケにJBLとbjリーグの2つがある理由だとか、個人的に面白い記事が2、3あったくらい。経済誌なのに数値の裏づけがほとんどない記事も見受けられ(プロ野球の記事が一番酷いんだな・・・)、総じて「買って損した」気分。同じ特集をダイヤモンドが組んだらもうちょっと面白いものが出来たかも。

で、比較的面白かったバスケの記事ですが、バスケ界が一気にプロ化へと向かわなかった主因はJリーグの失敗にあるとのこと。要するにプロ化したところで企業の負担が減るわけではないことが判ったので実力のあるチームが多数実業団チームのままJBLに残っているとのこと。

JBL参加チームにはJリーグクラブも持っている企業がいくつか名を連ねていますが、スポンサー側から「失敗」と見なされているJリーグ。

リーグ開幕まであとひと月余となりましたが、Jリーグの冬は長く続きそうです。

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2008.01.21

泣くスタで浦和戦開催?

大宮ホームの浦和戦お金より地の利選んだ(日刊氏ね)

さいたまダービーはお金よりも地の利! 大宮が今季のホーム浦和戦(9月20日か同21日)をNACK5スタジアムで行うことで最終調整に入った。

(中略)

埼玉スタジアムで行われたホーム浦和戦は常に3万人以上の集客がある。昨季も3万3162人を集めた。昨年11月に完成したNACK5スタジアムは1万5300人収容。満員になっても大幅な減収となるが、クラブ幹部は「大宮のホームという雰囲気が大事」と浦和戦のホーム初勝利にこだわる。

(後略)

[2008年1月21日9時10分 紙面から]

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泣くスタを大事にする理念は大いに結構ですが、小さなスタジアムでの浦和戦開催は運営能力が伴わないと混乱を招くだけしょう。どっちみちどこでやってもホームの雰囲気にはならないでしょうし。

以前浦和が埼スタを50年間レンタルするというプランが報じされていましたが、大宮の埼スタ撤退はその前フリ?(妄想)   レンタルが決まったら埼スタ南側のオレンジ色は真っ先に赤く塗りつぶすでしょうがw

そういう与太はともかく、浦和戦泣くスタ開催で大幅減収になったところで

|-`).。oO 大宮の経営にとって入場料収入はさしたる重要性を持たないんですが・・・

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佐原散策(上)

 ちょっと鹿臭いのが難点ですが、関東地方では数少ない古い商家の残る町「佐原」(現千葉県香取市佐原)に行ってきました。

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 紺の暖簾が鮮やか過ぎて眩しいくらいの佐原駅。「KIOSK」の暖簾って他にないかも。

 佐原は、江戸時代に利根川が付け替えられて舟運が盛んになると共に物資の集散地として栄えました。佐原には最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた木造町家建築、蔵造りの店舗建築、洋風建築などが残っています。

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 水運で栄えた町らしく、町の中心を小野川が流れています。川の両側に柳が揺れるって城崎温泉みたいですがw

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 佐原の顔ともいえる佐原三菱館(旧三菱銀行佐原支店本館、大正3年建築時は川崎銀行佐原支店)。明治の洋風煉瓦造建築の様式を受け継いだもので、外観はルネサンス建築様式、屋根は木組銅板葺き、正面右にドームを配しています。

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 正文堂書店店舗。大黒柱は欅材、二階の窓は土塗の開き戸、さらに横引きの土戸に板戸と三重に防火設備を伏した土蔵造りです。

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 佐原の文化財の中では正文堂書店がワシ的には一番のお気に入り。登り龍、下り龍を配した看板。一歩間違えればヤクザもんのような看板が書店に掛かっているアンバランスさが良さげ。

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 福新呉服店。明治25年の火事で焼け、建て替えられたお店で、奥の土蔵は古く明治初期の建築です。

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 中村屋乾物店。

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 正上(しょうじょう)醤油店。江戸時代より醤油の醸造をしていた店で、今は佃煮の製造販売をしています。店の前には船着場が。

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 旧油惣商店。

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 中村屋商店。明治7年頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきました。

P.S.

 建造物の解説は「水郷佐原観光協会」のサイトを参考にしました。

(続く)

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2008.01.20

【店名変更】ますたにラーメン@御徒町

Masutani1

最寄駅:御徒町

品: ラーメン 700円(小ライス付き) 今年の正月から50円値上げ。その代わり半ライスは無料サービスになった。

Masutani2

スープ: 表面にびっしり背脂が浮いているがしつこさ、脂っぽさはない。底に辛味のスープが溜まっていて、途中でスープを混ぜると違う味が楽しめるのがウリ。ピリ辛と表現するには辛すぎるのでスープを全部飲むのは難しい

麺:硬めを注文したが大して硬くなく、一般のラーメン屋なら並だろう。やや細めのストレート麺。濃い目のスープでは麺がやや負けている感も。

具:九条ネギが多めに載っているのが特徴。太めのメンマは大味。ペラペラのチャーシューが数枚。

コメント: 1Fはカウンターのみだが2Fがある模様。禁煙なのは嬉しい。麺の固さ、脂・ネギの量、辛さ等を選べるためか食券制ではなく、注文を逐一取りに来る。「ますたに」は京都が本店。学生客が多いためか、京都のラーメンは安い(その代わり概してチャーシューが安っぽい)。京都のラーメンで700円取るところは少ないのでは?

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2008.01.19

ドリームマッチ埼玉

ここ数年、年明け早々ザスパ草津vs群馬県出身Jリーガー選抜チームで争う「ドリームマッチ群馬」というのが開催されていて、浦和からは細貝が出場しています(今年のJリーガー選抜チームの面子を見るとかなり寂しく、松田、大島、青山直、大野といったあたりは欠場)。

で、暇を持て余して仕方がないうぃあーのために「ドリームマッチ埼玉」が開催された場合、埼玉県出身Jリーガー選抜チーム(除く浦和)を妄想してみました。

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監督 西野(G大阪)
コーチ 反町(U-22)

GK 川島(川崎)

DF 小林亮(柏)
DF 中澤(横浜FM)
DF 金沢(F東京)
MF 佐藤勇(千葉)
MF 坂本(新潟)
MF 酒井(神戸)
MF 鈴木慎(大分)
MF 菅沼(柏)

FW 佐藤寿(広島)
FW 河原(新潟)

<Sub>

GK 菅野(横浜FC)
MF 小林慶(大宮)
MF 浅利(F東京)
MF 大森(名古屋)
FW 桜井(大宮)

*所属クラブは2007年末時点で表記

GKがやたら豪華な反面、どう見てもFWが駒不足。おまけに専業DFも手薄なので4バックしか選択の余地がなさそうです。

---佐藤寿-河原---
-坂本------菅沼-
---佐藤勇-酒井---
金沢-中澤--小林-鈴木
-----川島-----

これではレッズの練習相手になりそうもないので、レッズの埼玉出身選手で一部補強してみました。

---佐藤寿-河原---
-坂本------菅沼-
---佐藤勇-内舘---
金沢-中澤-堀之内-鈴木
-----川島-----

うーん、大して強くなりませんねぇ・・・(;´Д⊂) あう‥

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2008.01.18

今季の展望というか妄想

主力の移籍も一段落して、ダイは早速各チームの戦力補強評価特集を組んでいます。ただいつもながらこれが当たらないんですな・・・ 外国人選手はどれだけネームヴァリューがあってもやってみないと実力のほどは判らないし、日本人選手でも個人能力は高いのに噛み合わないケースが少なくない。おまけに監督が変わったりすると何がどう転ぶのかさっぱりわからん。

従って、この時点で各クラブの戦力評価をするのは淫らな妄想に耽るのと大差がないと常々思うのですが、その妄想が楽しいというのもまた然り。

で思うんですが、今年の仮想敵は川崎ですかね?今年はなにせACLの負担がない。ジュニーニョ&フッキの強力2トップ。左WBに山岸。難点を上げればマギヌンが抜けたトップ下を埋める人材が不確定なのと、代表で酷使される中村憲の代わりがいないこと。

鹿島は昨年なかったACLと代表の負担(たぶん岩政と田代は継続的に呼ばれると思う)をどうこなすか。柳沢が抜けてFWの層が薄いのが最大の難点で、長期離脱者が出ると失速しかねない。

G大阪は相変わらず遠藤の代わりがいないので、ACLの負担が増えてまたまた夏に大失速。ルーカスが来ようが、水本が来ようが関係ない。これは鉄板。

清水はチョジェジンの代わりの外国人FWの出来次第でしょう。ACLはもちろん、代表の負担も無いに等しいので新外国人が働けば案外手強いかもしれん。ただもともとの地力が鹿島・G大阪・川崎ほどじゃないからなぁ・・・

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2008.01.17

東海道行脚17:大津~三条大橋

東海道行脚16から続く)

 2000年6月から延べ16日に及んで歩きに歩いた東海道行脚も残すは大津から三条大橋までわずか一区間、10km強のみ。

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 大津駅は街の南外れ。街の中心部は坂を下った琵琶湖周辺。駅の南には逢坂山が迫っています。

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 大津事件碑。大津事件とは1891年に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件で、「司法権の独立」「裁判官の独立」を語る上で欠かせない事件です。

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 大津から逢坂を越えて山科までは京阪京津線が並走。昔は山科からさらに三条大橋まで京阪京津線が並走していましたが、残念なことに97年から京都市営地下鉄東西線として地下に潜ってしまいました。地下鉄へ直通する4両もの電車がチンチン電車よろしく路面をゴロゴロ走っているのはかなり違和感があります。

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 東海道本線を跨ぎこした先に蝉丸神社下社。蝉丸は琵琶の名手で百人一首、というか坊主めくりで有名。蝉丸神社は平安時代の嵯峨天皇のときに猿田彦(さるたひこ)と豊玉姫(とよたまひめ)をまつり、円融天皇のときに琵琶の名手・蝉丸をあわせてまつったもので歌舞音曲の神として音楽に関わる人々の信仰を集めています。蝉丸神社は上・中・下の三社に分かれていますが、一般的に蝉丸神社といえば下社を指すようです。

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 だらだらと坂を登って逢坂関を越えます。

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 坂を登った先には蝉丸神社上社。

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 山科の追分に達してついに京都到着。追分の先は名神高速・京都東ICで東海道が分断される格好になっており、とぼとぼ歩いているとちょっと物騒。

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 車石。車石とは湿土の多い峠の坂に轍がめり込むのを防ぐために工夫されたもので、閑栖寺の案内板によると「大津から京都三条にかけて約3里(12km)の間に物資輸送用の牛馬車の通行を楽にするために花崗岩に溝を刻んだ切石を敷き詰めた。1802年(文化2年)に京都の心学者脇坂義堂が発案し、近江商人中井源左衛門が私財を投じた」とのこと。

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 山科を過ぎて地下鉄御陵(みささぎ)駅近くにある不自然な緑道。どう見ても京阪京津線の跡です。

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 唐突に日時計が飾られていますが、御陵駅の近くに天智天皇陵があり、その天智天皇がわが国で初めて水時計を作ったことにちなんで京都時計商組合が建てたもの。なんか2重、3重に屈折したモニュメントです。

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 こちらも車石にちなんだモニュメント。

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 三条通に沿って緩やかな坂(日岡峠)を登ると

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 ついに蹴上に。レンガ造りの建物は蹴上発電所。このあたりは浄水場やインクライン等近代化遺産の宝庫です。

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 三条大橋の東に建つ高山彦九郎像。高山彦九郎は江戸時代中頃の勤王思想家で、像は御所を拝礼した姿を模ったもの。俗に土下座像と呼ばれていますが、なんて失礼な!

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 ついに京三条大橋に到着。街はまだ正月気分が抜けない模様。おまけにこの日は成人の日にあたり、着慣れない装束を身にまとった若輩者がぞろぞろ固まって歩く姿が目につきました。

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ということで、だらだらと続いたこのシリーズもようやく大団円を迎えました。ここまでご愛読いただき御礼申し上げます。

なおお祝いの品は開幕戦@日惨で受け付けております。

(完)

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2008.01.16

レベルファイブスタジアム

博多の森、新名称は「レベルファイブ」…ゲーム会社命名(2008年1月15日11時27分  スポーツ報知)

・新名称「レベルファイブスタジアム」(略称「L5スタ」)
・契約期間は3月1日から3年間。年額3150万円(消費税込み)
・福岡市は、年額3000万円以上、期間3年以上の条件でスポンサーを募集していた。

最近決まった愛媛の「ニンジニアスタジアム」が年間2100万円。それよりは高く、J1の泣くスタ(年間3000万円)とほぼ同等。

J2屈指の人気チームである仙台・ユアスタの年7000万円には遠く及びませんが、福岡の昨年の観客数は仙台の2/3程度。チーム成績も考慮すれば3000万円は妥当なところでしょう。

ただ「年額3150万円(消費税込み)×3年」というのは隣の鳥栖(ベストアメニティスタジアム)と全く同条件なのは、何かと鳥栖を格下に見たがる福岡としては不満かもしれません。

ちなみに「レベルファイブ」とは福岡に拠点を置くコンシューマーゲームソフト開発会社で、『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』等を作ったとのこと。

ワシ的には福岡拠点のゲームソフト開発会社といえば「大戦略シリーズ」で有名なシステムソフト以外ありえないんですが、今はどうなっているんでしょう・・・

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長谷部、移籍決定!

公式の発表はまだですが、長谷部本人がヴォルフスブルクへの完全移籍を表明しました。

行き先が長谷部を金づるとしか考えていないシエナではなく、多少なりとも戦力として考えている節があるヴォルフスブルクだったのは幸い。浦和がブンデスリーガに豊富な情報源・人脈を持っていることも長谷部の移籍に際して多少手助けになったかもしれません。

一度決めたら絶対に引かないのが長谷部の性格で、周囲には「無理」と思われたハードルを長谷部はこれまで次々と乗り越えてきたのですから、今回の海外移籍も必ずや長谷部が大ブレイクする切っ掛けになることでしょう(半ば希望的観測ですが)。

02年に浦和入団。「エジムンド事件」が塞翁が馬となって03年からレギュラーポジションを獲得。トップ下に強力なライバルが加入するとともにポジションこそトップ下からボランチへ移しましたが、浦和不動のレギュラーとして現在に至りました。

長谷部のベストゴールは個人的には04年セカンドステージ第3節の磐田戦。雨の埼スタ。ロスタイムにドリブルで斬り込んでやや難しい角度からのゴールで磐田をねじ伏せました。磐田がまだ強豪と目されていた頃だけにあのゴールの味は格別でした。

浦和がセカンドステージを制した04年。長谷部は当然のごとくJリーグベストイレブンに選出。

ただ残念なことに長谷部の輝きはこの04年セカンドステージをピークにちょっとずつ陰りを見せ始めたように思います。それは端的にいって得点数(リーグ・ナビスコ・天皇杯込み)の減少となって表れています。

長谷部の最大の持ち味は中盤深い位置からのドリブル突破。しかもドリブルだけではなく、パスセンスをも持ち合わせているので相手は非常に守りにくい。攻撃能力の高い長谷部と守備能力の高い啓太との2ボランチはまさにこれ以上ない組み合わせ。浦和史上最も攻撃的だったと目される04年セカンドステージにはその長谷部の持ち味が如何なく発揮されました。

ただ05年以降浦和は急速に守備偏重へとスタイル転換し、それと共に長谷部はやや難しい役割どころを強いられたように思います。持ち味を半ば封印された以上「現在の浦和に魅力を感じない」と長谷部が感じても仕方ありません。

06年1月にようやく日本代表に選出されたものの、あの糞監督の下では時既に遅しで代表定着ならず。オシム監督に代わってからも最初に代表に呼ばれただけで、すぐに選考から外されてしまいました。これはほぼ同タイプの中村憲にポジションを取られた結果であることは明白。この辺りも海外移籍を後押しする要因になったのかもしれません。

浦和レギュラー陣の中では若手に属する長谷部が抜けることは、浦和の世代交代を考えると痛恨の極みですが、きっと長谷部は一回りも二回りも大きくなって浦和に戻ってきてくれることでしょう(完全移籍なのでその保証はありませんが・・・)。

P.S.

「条件には指宿合宿など今後の代表参加への理解度が含まれており」なんて報道もあるけれど、海外のクラブへ移籍するならそのチームでレギュラーを掴むのが最優先で、代表なんて二の次三の次でしょう。まして長谷部は代表のレギュラー格でもなんでもないわけですし。海外に移籍したのはいいけれど、ちょろちょろ代表合宿に呼ばれるのが災いしてクラブに定着できず、そのままベンチウォーマーどころかベンチにすら入れなくなった先人の轍を踏まないように願いたいものです。

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2008.01.15

大将、トップチームコーチ就任

大将の浦和復帰が正式に発表されました。トップチームコーチとしての復帰です。

しかしコーチングスタッフの陣容までは発表されず(昨年はこの時期に新体制が発表されています)。従って大将の役割分担は不明。昨年11月の報道では「若手育成担当」との話が出ていましたが、昨年サテライトを担当していた広瀬コーチとの関係はどうなるのでしょうか?

全陣容が公表されてから議論すれば十分な話ですが、大将は監督と選手との橋渡し役を求められるような気がします。オジェックは選手とのコミュニケーション能力が高いとはいえず、硬直的な選手起用と相まってチーム内には随分と不満が溜まったように見受けられました。

年長の岡野がベンチ待機を強いられているメンバーのガス抜き役を買って出ています(岡野のブログでは結構ストレートに監督批判していますしね)が、まぁあれは岡野のパーソナリティーというか「個人能力」に頼っているところが大なわけで・・・

浦和がまだ一人前のクラブになっていなかった頃は浦和の全選手を代表してフロントと対峙する機会が多かった大将。大将の公式な役割が何になるにせよ、おいおい自然と「福田さんから監督にお願いしますよぉ・・・一言言ってくださいよぉ・・・」と選手に頼られる立場になるんじゃないかなぁと推察します。大将と共にプレーしたことがない選手も増えてきましたが、大将を兄貴分と慕う選手は少なくないでしょうし。

これじゃ絵に描いたような中間管理職ですが、そういうのもコーチ修行かと。

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東海道行脚16:石部~大津

東海道行脚15から続く)

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 石部駅から旅を再開。関宿から旧東海道はJRの幹線から遠く離れたところを通っていましたが、横田の渡しを渡った辺りで久しぶりにJR関西本線が並走します。

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 石部から草津まで12kmほどあるため、中間の手原あたりは間の宿として栄えたようです。珍妙なことに見るべきものがほとんどない石部宿よりも見所豊富。ご立派な邸宅は「大角家住宅(旧和中散本舗)」。「和中散」とは生薬を粉にした胃腸薬。徳川家康が腹痛を起こしたときこの薬を飲んだらたちまち治ったことから、家康が直々に「和中散」と名付けたとか。

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 腰掛けていいものかどうか、微妙なベンチ・・・

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 目川立場田楽茶屋「元伊勢屋」。広重が描いた田楽茶屋はこちらで、地元の食材を使った菜飯と田楽が名物だったとのこと。近くには「すずめ茶屋」や「京伊勢屋」も。

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 草津川をトンネルで潜ります。

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 草津宿の入り口に立つ横町道標。日野の豪商中井氏の寄進により1816年(文化3年)に建てられました。「左東海道いせ道 右金勝寺、志がらき道」と書いてあります。

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 草津追分で中仙道と合流。どでかいな道標は諸国定飛脚の宰領中からの寄進により1816年(文化3年)に建てられたもの。

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草津宿のシンボル「草津宿本陣」。現存する本陣の中で最大級の規模。なお草津宿には本陣が2軒あり、残っているのは田中七左衛門本陣。

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一方脇本陣のほうはただのお食事処に・・・

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 草津は京都・大阪のベッドタウンとして急速に発展したにも関わらず、古い商家や旅館が思いのほか残っています。写真の「野村屋」は元旅籠。江戸時代末期の絵図では間口7間・奥行13間の「旅籠屋利兵衛」となっています。

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 瀬田の唐橋を渡ると京都も間近。武田信玄が「瀬田の唐橋に旗を立てよ」との遺言を残したという逸話が有名ですが、瀬田の唐橋は古来より交通の要衝であるとともに、軍事上の要害でもあり、古くは壬申の乱で激戦地になりました。

 橋は何度か架け替えられていますが擬宝珠は歴代受け継がれているとのこと。

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 唐橋を渡るとまもなく膳所城跡に突き当たります。瀬田の唐橋を征する城として家康に重要視され、天下普請として江戸幕府が諸大名に命じて築城させたようですが、現在は石垣が残る程度。また膳所城は琵琶湖に面して建造されたため、当然ながら時間を経ると波による浸食を受けました、従って膳所藩は絶えず城の補修を余儀なくされ、藩財政が逼迫する一因となったようです。

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 膳所城跡の先には義仲寺(ぎちゅうじ)。源頼朝軍に追われて粟津の地(=宇治川の戦い)で壮烈な最期を遂げた木曽義仲をここに葬ったことが義仲寺の名の由来。室町時代に近江守護佐々木六角氏が当寺を再興。さらに松尾芭蕉が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。

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 京阪石場駅脇の踏切を越えて大津市街中心部へ。なんと大津祭の真っ只中に突入してしまいました。13基もの曳山が差して広くもない市街を巡回しているので、どこを向いても曳山だらけです。曳山に仕掛けられた「からくり」が売り物。

(続く)

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2008.01.14

うぃあー仁王尊

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 田端駅付近を散策していたところ、異様な物件に出くわしました。

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 仁王様のいたるところに赤い紙がベタベタ貼られています。「早くうぃあーになりたい!」との仁王様の叫びが聞こえるようでもあります。 

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 谷中七福神の一つでもある「東覚寺」。 いつのころからか人々が赤紙(魔悪を焼除する火の色)を自分の患部と同じ所に貼って、病気身代わりと身心安穏を願うようになったとのこと。無事満願叶ったあかつきにはお礼として草鞋を奉納するそうです。

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2008.01.13

鴎外旧居跡

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 上野公園の近くに明治の文豪「森鴎外」の旧居跡があります。

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 旧居跡に今はホテルが建てられています。

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 でもその後温泉まで掘り当てるとは鴎外は予想だにしなかったでしょうなぁ・・・

P.S.

 「あなたに借りた鴎外も読み終えていないのに」(by さだまさし)というのも今となっては相当変なカップルに思えます。

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2008.01.12

【閉店】匠屋@御徒町

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 先日訪れた「六角家@御徒町」の真向かいにある「匠屋」に日を変えて出かけてみました。本店が新小岩にあるようです。店内は狭く、カウンター+テーブルが1卓程度。

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 「塩梅らーめん」が売り物のようですが、塩も梅もあまり好きではないので「醤油らーめん」を注文。ランチタイムには小ライスがついて600円と都心にしては安めの価格設定。

 真っ黒で見た目はこってりと濃そうなんですが、脂分は少なくさっぱりした味わい。良い意味でダシに癖がありません。ただやや塩辛くてスープは半分以上残しました。また具に大量にワカメが入っていて、この海草臭さが少々気になりました。

 麺は堅めにしてもらいました。極細ちぢれ麺ですがコシは意外に強め。スープとの相性は抜群です。

 ばら肉チャーシューは柔らかで淡白な味わい。あとはシャキシャキとしたモヤシと大きめのメンマ。

 ワカメ以外は特に気になるところもなく、平均以上の出来だけれど、是非もう一度食べたいと思わせるほどの訴求力もない。そんなところでしょうか。

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2008.01.11

和やかならぬ傾向

「浦和大型補強完了」との見方が強いようですが、浦和情報については信憑性に乏しいことで知られる日刊氏ねが報じているのみ。従ってもう一波乱あるのではないかと先日来ワクテカしていたのですが、高原以降すっかり移籍報道は下火になってしまいました。始動までまだ半月以上ありますが、戦力構想を揺るがすような選手の出入りは今週一杯でおしまいと考えざるを得ません。

水本はG大阪へ(報知)

水野はセルティック移籍が決定的(各紙)

とかつて名前の上がった有力選手には浦和は手を上げていない模様。今オフで浦和が移籍獲得した選手は、レンタル復帰のアレックスを含めて攻撃的な選手ばかり。今野を獲れなかった代わりの守備的な選手補強はありません。

そもそも今野補強なんてイラネ、というのが私の考えですが、それはともかくフロントの補強方針に一貫性がないというのは気になります。今野の件は「代理人側から売り込んできたのに最後に裏切られた!」との報もありましたが、仮にそれが本当なら是非とも必要でもないのに「せっかくの機会だから」と買ってそのまま押入れや冷蔵庫にしまいこんでしまうアホなオバハンと大して変わらないような・・・ その補強センスはまるで名古屋・・・

いったい今野獲得の意図はなんだったのか? まぁそんな終わったことを問い詰めても仕方ありませんが、浦和の「和やか」ならぬ「名古屋化」が少々心配です。

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東海道行脚15:土山~石部

東海道行脚14から続く)

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 東京から土山へは行くのが一苦労。東海道新幹線→JR草津線→ローカルバスと乗り継いで土山に着く頃には11時半になってしまいます。なおこの付近のバスは町営。JRバスが撤退した後を引き継いだものです。

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 瀧樹神社で祭礼でもあるのでしょうか。

 ※後で調べたところ、7歳~12歳までの男の子8人が華やかな衣装をつけて踊ります「ケンケト祭り」があったばかりでした。

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 土地柄、軒先には信楽焼の狸が目立ちます。この家では表札代わりなんでしょう。

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 はなはだ退屈な道中、10kmほど歩いてようやく水口宿に突入。

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 水口宿は宿場町であると同時に水口藩2万石の城下町。宿の西に水口城跡があり、堀や石垣が一部残っています。また水口宿は宿内で街道が三筋に分かれるのが特徴ですが宿場としてはさほど規模が大きくはなかったようです。

 上写真の和菓子屋「一味屋」は江戸時代末期から続く老舗。これ以外にも歴史ある旅館や料亭が軒を連ねています。但し残念ながら現在の水口の商店街は見事なまでのシャッター通りと化しています。

 下写真は水口宿内に立つ「からくり時計」。水口宿の曳山祭りに使われる「曳山」がモチーフになっているとか。

 まめ知識ですが、浦和にも一時在籍した井原は水口の出身です。

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 琵琶湖に注ぎ込む野洲川(この付近では横田川と呼ばれる)には架橋が許されていなかったため、渇水期には土橋が架けられた他は船渡しとなっていました。「横田の渡し」は夜中に及ぶ往来が頻繁で、渡渉中方向を誤ったり、あるいは増水等による事故が相次いだため村人が義金を募って巨大な常夜灯を建てたとのこと。

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 トンネルで大沙川の下を潜ります。滋賀県ではこうした天井川がよく見られますね。

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 石部宿。「京立ち石部泊り」と言われるように京都を出発した旅人は最初に石部で泊まるのが標準的な行程だった模様。といっても9里約36kmありますから、現代の目で見ればかなりの強行軍。

 写真は安藤広重の浮世絵に描かれた田楽茶屋を旧東海道沿い再現したもので無料休憩所として利用されています。もっとも実際に広重が描いた茶屋はここからかなり西方にありました。

(続く)

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2008.01.10

飛ばし行為

高原移籍の件で痛感したのは、国内移籍に伴って発生する移籍金がかなり割高なこと。高原と梅崎の移籍金に大差がないってどう見ても変。

で、思ったのですが、仮に水野が千葉からセルティックへ完全移籍し(契約切れなのでゼロ円移籍?)、1年半くらいセルティックで熟成させてから浦和がパクった場合、仮に水野-セルティックの契約期間が若干残っていたとしても国内移籍で獲るよりははるかに割安に獲得できるんじゃね?と思った次第。

セルティックが浦和の子会社だったりすると、これはどう見てもJリーグの移籍金規定を回避するための「とばし」行為ですw

もっとも実際はセルティックや水野が浦和のいうがままに動くわけはないので妄想にすぎないのですが、たぶんロベルト佃は我々のために何かやってくれるでしょうw

P.S.

水野はあくまでも例えですので注意。

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東海道行脚14:亀山~土山

東海道行脚13から続く)

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 亀山は宿場町であると同時に伊勢亀山藩の城下町。亀山城の多門櫓が残っているとのことですが、残念ながら現物を確認せずに通過。鈴鹿越えを控えてちょっと焦っていましたかね(^^?

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 野村一里塚。樹齢400年のムクの木が聳え立っています。

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 関宿はすぐ近くをJR関西本線や国道1号線が走っているにも関わらず宿場町の面影を色濃く留めており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。東海道歩きを趣味とする人の間で最も人気がある宿場なのも頷けます。

 観光客がやってくる時間帯以外は物静かな街となってしまった今となっては想像しづらいのですが、往時は東の追分からは伊勢別街道、西の追分からは大和街道が分岐する活気ある宿場町でした。

 さらにいえば関は古代から交通の要衝で「伊勢鈴鹿の関」が置かれていた場所です。

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 鈴鹿川ともつれあいながら一路鈴鹿峠へ。

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 坂下宿にはこんなモニュメント?も

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 関宿とは対照的に坂下宿にはほとんど何も残っていません。鉄道が遠く外れたところを通ったために明治以降急速に衰退。今やバスすら満足にやって来ない。東海道には同じような理由で衰退した宿場がいくつもありますが、ここまで寂れ切ったところはそうそうありません。

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 片山神社。もともと坂下宿はこの付近にあったのですが、1650年(慶安3年)の大水害で壊滅。その後宿は現在のところに移転。

 この神社を通過した辺りでどうも道を見失ったようで・・・

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 ぐんぐん坂を登っては見たものの完全に迷子。

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 とうとう国道に合流。

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 やむなくトンネルで鈴鹿峠を越えてしまいました(´・ω・`)ショボーン 

 アバウトな地図を頼りに東海道行脚を続けたためあちこちで道を見失ってきましたが、鈴鹿越えに失敗したのは空前絶後の大失態でした。いつかリベンジしないといけません。

 ※この失敗はどうもワシだけではない模様

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 少々不気味ですが、これは鈴鹿馬子唄の碑。「坂は照る照る 鈴鹿は曇る(ハイ ハイ) あいの土山 エー雨が降る (ハイ ハイ)」云々という歌詞だそうですが、残念ながら聞き覚えがありません。地元では「鈴鹿馬子唄全国大会」が今でも開かれているので、それなりに有名なのでしょう。

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 土山宿の手前に建つ田村神社。征夷大将軍・坂上田村麻呂公を主祭神として、嵯峨天皇および倭姫命(やまとひめのみこと)をお祭りしているとのこと。

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 土山はお茶で有名。キャラはお茶の花から来ているとのこと。土山のお茶は1356年(文和5年)に南土山常明寺の僧鈍翁が京都の大徳寺から茶の実を持ち帰って寺で栽培したのが起源と伝えられています。近隣の宇治茶と比べてブランド力に劣るのは残念。

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 土山は往時そのままというわけではありませんが、落ち着いた街並みが残っています。坂下宿同様鉄道に見放されたところですが、三重県側と違って滋賀県側は鈴鹿峠へ向けての坂はいたってなだらかで、宿場町としては衰退しても単なる農村として生き残れたのでしょう。

(続く)

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2008.01.09

赤星、水戸へレンタル移籍

赤星貴文選手、水戸ホーリーホックに期限付き移籍(浦和公式)

浦和入団後3年を経過した赤星のレンタル移籍が発表されました。赤星は出場暦を見てもはっきりと判るように出場機会が完全に先細り。

同期入団で、同じくトップチームでの出場機会がほとんどなかった中村選手が先に湘南へ完全移籍と報じられたため、赤星選手もおそらく何らかの形で移籍するのだろうと予想はしていましたが、やはりその通りになってしまいました。

赤星選手は1年目の天皇杯で活躍し、その将来を大いに嘱望された逸材ですが、2年目以降怪我で離脱する期間が多いこともあって、ただでさえ出場機会を得がたいのにベンチ入りの機会さえ乏しくなってしまいました。

3年目は監督がオジェックに変わりましたが、残念ながら出場機会皆無。A3の遠征メンバーに入れなかった辺りでオジェックの構想外となったものと思われます。怪我が多いことに加え、若手の割には運動量が少ない(パスを出した後で立ち止まってしまう、いわゆる「パス出し小僧」化)のが監督に嫌気されたのかもしれません。

今般完全移籍ではなくレンタル移籍となったのは必ずしも前向きの意味合いではないとワシ個人的には判断しておりますが、その内実はともあれ水戸でしっかりと出場機会を掴んで、再度浦和でチャンスを窺えるレベルに達してくれるよう願ってやみません。

<出場暦>

2005年:Jリーグ2試合/ヤマザキナビスコカップ1試合/天皇杯3試合
2006年:ヤマザキナビスコカップ4試合
2007年:公式戦出場なし

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東海道行脚13:四日市~亀山

東海道行脚12から続く)

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 四日市は三重県最大の都市に発展したため、宿場町の面影を見出すことは難しい。

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 四日市を出てしばらく東海道は近鉄内部(うつべ)線と並走します。近鉄内部線は日本で一般的なレール幅(1067mm)よりも一段と狭い762mmを採用していることで有名。

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京に向かう東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点にあたる日永の追分。ちょうど四日市宿と石薬師宿の中間にあたり、間の宿として旅籠や茶屋が軒を連ねていた模様。

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 杖衝坂。日本武尊が病にたおれ、剣の杖にすがりながらこの坂を越えたという伝説があります。

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 坂を上りきると国道1号線に合流。少々辛い道中が続きます。

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 石薬師宿はもともと小さな宿場だったようですが、今も非常に寂しいところ。名の起こりとなった石薬師寺もさほどぱっとしたところもなく・・・ 歌人佐々木信綱が石薬師の生まれで、それにちなんだ記念館のほうが目立つ按配。

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国道1号線と鈴鹿川に挟まれた一帯をてくてく。この辺は東海道旧道を示す標識が乏しく、合っているのかどうか???

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 庄野宿。ここもこれといったものは残っていません。伊勢参りの旅人は、東は日永の追分で、西は関宿で道を伊勢街道にかえるため石薬師宿同様もともと寂しい宿場だったとのこと。庄野宿が名高いのはひとえに安藤広重の傑作「庄野の白雨」のおかげ。

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 これより亀山領。

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 旧井田川小学校。二宮尊徳像も珍しくなりました。

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 亀山といえば昔はローソクで有名だったのですが、今はすっかり液晶パネルの街。っちゅーか、誕生日や結婚式以外にローソクを使う機会がない今となっては亀山がローソクの産地であることを知っている人のほうが珍しいかも。

 次回はいよいよ鈴鹿越えです。

(続く)

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2008.01.08

東海道行脚12:有松~四日市

東海道行脚11から続く)

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 有松は間の宿に過ぎないのですが、正規の宿場町と比べても遜色ないほど旧家の町並みがしっかり残っています。上写真は竹田家住宅。下が岡家住宅。有松は、1784年(天明4年)の大火で全戸の建物を消失したため、その後商家を建築するにあたり、さまざまな防火対策が施されています。土蔵の腰部に見える海鼠壁はその典型。

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 鳴海宿の西入り口に立つ丹下町常夜灯。東の入り口には平部の常夜灯が残っています。鳴海宿は有松と比べると見所に乏しいのが残念。

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 鳴海宿を過ぎるとまもなく笠寺観音が見えてきます。天平年間に僧・善光が浜辺に打ち上げられた流木で十一面観音像を彫り、現在の笠寺より約650m南の地にその像を祀る天林山小松寺を建立したのがこの寺の始まり。

 その後一時荒廃していたが、旅の途中で通りかかった藤原兼平が風雨に晒されるがままになっていた観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたとのこと。

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 宮宿に到着。東海道屈指の大宿場町であると同時に、熱田神宮の門前町としても栄えました。東海道はここから「七里の渡し」で次の桑名宿まで船旅になります。七里の渡し跡は「宮の渡し公園」として整備され、時を告げる鐘楼(写真上)や常夜灯(写真下)が据えられていました。

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 冬の名古屋の旅に欠かせないのが味噌煮込みうどん。エスカの山本屋本店で食べると具材が良くなって二千円近く取られますが、なにげない町の食堂で食べると安くて、しかもそれなりに美味い。

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 宮から桑名まで現在は船便がないので、やむを得ず(?)名鉄→近鉄と乗り継いで桑名に向かいます。桑名市のマンホールの蓋にも「七里の渡し」。

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 「その手は桑名の焼き蛤」という地口ももはや死語でしょうか。桑名はいまでも蛤が名産です。

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 桑名は東海道の宿場町であると同時に桑名藩の城下町。桑名城はわずかに石垣を残すばかりですが、国土交通省水門統合管理所を建造するにあたって蟠龍櫓が外観復元されています。蟠龍櫓は七里の渡しに面して立っているので、東海道を行き交う人々の目につきやすかった模様。

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 鋳物は桑名の代表的な地場産業。梵鐘のような伝統的な鋳物産業も健在。もっとも鋳物の町としての知名度は川口が圧倒的に上。これはどう考えても吉永小百合様々ですね。

(続く)

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2008.01.07

東海道行脚11:藤川~有松

東海道行脚10から続く)

 藤川宿は品川宿から数えて37番目の宿場町。1601年(慶長6年)に藤川に伝馬朱印状が発給されて藤川宿が成立しましたが、発足当時の藤川宿は小さく、1648年(慶安元年)に隣村の市場村の68戸を現在地に移住させて宿場町の形が整ったとのこと。

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 藤川宿を出ると松並木がお出迎え。約1キロメートルの間にクロマツが90本ほど並んでいます。

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 7km弱で岡崎に。岡崎は言うまでもなく三河地方の中心都市であり、徳川氏ゆかりの五万石の城下町。しかし東海道本線が街の南外れを走ったことが災いして明治以降街の発展が遅れ、さらに「世界のトヨタ」の恩恵を十二分に受けることもなく、やや難しい立ち位置を強いられているようです。

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 さはさりながら商店街には余裕があるのか、可愛らしい石像が並んでいます。岡崎といえば敵の進入を防ぐために道を複雑に屈曲させた「岡崎27曲がり」が有名ですが、それを忠実に曲がり歩くことは手元の地図がアバウトすぎてままならず。

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 岡崎城。木立が邪魔で上手く写真が撮れませんでした(^^; 1452年頃三河守護代の西郷頼嗣が築城 → 1531年に松平清康(徳川家康の祖父)が攻め取って城郭を整備(これが現在の岡崎城の基礎) → 今川家、徳川家の支配下に置かれた後、1590年家康の関東移封に伴い田中吉政が入城し、城を拡張・再整備 というのが城そのものの略史。現在建っている天守は1959年に木造復元されたもの。なお岡崎城の隅櫓を木造復元する計画があるようです。

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 公園内には恰幅の良い家康像はもちろんのこと、家康幼少時からその忠実な家臣であり、徳川配下きっての武功派として知られる本多忠勝(通称「平八郎」)の像も。忠勝は岡崎生まれ。

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 岡崎城下を流れる矢作川を渡って次の池鯉鮒宿へ。

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 橋のたもとには日吉丸(豊臣秀吉の幼名)と蜂須賀小六の出会いの場となった逸話にちなんで「出合之像」が。

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 池鯉鮒宿の手前にも松並木。池鯉鮒とは式内の古社である池鯉鮒明神の池に鯉と鮒がいたのでその名前がつけられたそうですが、現在は知立と呼ばれています。池鮒鯉宿では馬が数百頭も集まる馬市が盛大に開かれ、三河木綿市も元禄・宝永の頃までは盛況だったようです。

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 さらに歩を進めて中京競馬場脇を通過。

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 競馬場の近くには桶狭間古戦場が。もっとも桶狭間古戦場の場所については異説があり、ここからやや南の名古屋市緑区有松付近とも言われています。

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 有松は1608年(慶長13年)に、江戸や京、お伊勢参りの旅人たちの休憩のために、尾張藩が間の宿(あいのしゅく)として、鳴海宿と池鯉鮒宿(知立)の間に町をつくったのが始まり。なんでも有松周辺はおいはぎが多く、たいへん物騒だったことから、幕府の令を受けて人々が住むようになったのだそうです。

(続く)

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2008.01.06

大物Nに踊らされた日々を振り返る

 オヒサルで高原内定発表。

 さきほどNHKの7時のニュースでも浦和移籍が報じられました。昨年の阿部同様、代表主力の移籍となると世間一般の関心度も些か違うようです。

 暮れにオファーが報じられて、あっという間の獲得劇。

 「大物N」が来るの来ないので"長い"オフの間ヤキモキし、

   ∧∧
   /⌒ヽ)
  i三 ∪
 ○三 |
  (/~∪
  三三
 三三
三三三

結局今年も来なかったというトホホな日々はいったい何だったのでしょう。

 ガチャピンが来る!という噂が流れてワクテカしてF5キーを叩きまくったものの

   ∧∧
   /⌒ヽ)
  i三 ∪
 ○三 |
  (/~∪
  三三
 三三
三三三

案の定ガセだったという話なんてつい先日でっせ、奥さん!

 さて後は大物DF獲得の朗報を待つばかりです。

 ダンスはまだまだ続くぜ、奥さん!

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【閉店】六角家@御徒町

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 久しぶりに御徒町界隈に来たところ、いつの間にか駅ガード下に「ラーメン横丁」が出来ていました。「ラーメン横丁」といっても「青葉」「匠屋」「六角家」の3軒だけですが、唯一行列のなかった「六角家」へ。

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 外の券売機で「中ラーメン(750円)」を購入。店内は空いていましたが、入り口傍のカウンター席に通されました。壁とにらめっこしながらの昼食。これじゃ達磨じゃね? 空のコップだけを渡され、テーブルに置いてあるポットで給水。

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 麺は固めを頼んだはずですが、標準的な仕上がりになってしまいました。それはまだ良いのですが、スープにこれといった深みがあまり感じられないのと、チャーシューがペラペラで取るに足らないのは残念。家系としては並の出来で、他店と比べて特に飛びぬけたものはありません。

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2008.01.05

下部組織強化2008

俺達の報知が下部組織強化という実に細かいネタを拾ってきました

・横浜Mの池田誠剛育成強化部フィジカルコーチ(47)が、来年3月から浦和の下部組織統括のフィジカルコーチに就任

・土橋正樹氏(35)もユースチームのスタッフ入りすることが決定。

また過去のスポニチ(07.11.16)では

・来季から育成世代指導のスペシャリスト、矢作典史氏(44)を招へいすることが15日、明らかになった。欧州の名門クラブも採用する「クーバー・コーチング」を学び、現在はJ2京都の育成スタッフを務めているが、今季限りで契約は満了。

と報じられています。

 浦和の下部組織がトップチームへの人材供給源として機能していないのは一目瞭然。そもそも下部組織の強化に着手したのが犬飼社長時代になってからで、その成果が出るのに今しばらく時間がかかるのはやむを得ないと思います。

 しかも毎季優勝を義務付けられた(笑)浦和は即戦力を続々補強する上、冒険ができない監督がどうしても実力の判っている選手を使いたがるためか、若手選手を使う場がなくて育てるに育てられないという困った問題を抱えています。またこの問題は高卒・大卒選手の獲得難にも繋がっています。

 浦和も「強奪頼み」の戦力強化は長続きしない(実際2年に一度しか大補強ができない)のは判っているし、新卒選手の獲得難も相まって、目前に迫っている世代交代期に備えて遅まきながら下部組織の一層のテコ入れに動き出したのでしょう。

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寿司食いねぇ!

 ついに高原の浦和移籍が事実上決定したようです。俺達の報知の続報では「移籍金は120万ユーロ(約1億9000万円)、年俸1億2000万円で、3年契約。」

 昨年末時点で浦和と高原の間では移籍合意ができており、あとはクラブ間の交渉を残すのみとのことでした。

 昨日のサンスポでは

フランクフルトでは、FWトゥルクがブンデスリーガ・デュイスブルクから受けたオファーに本人、クラブともに前向き。そんな状況に同監督は同誌に「もう1人来るなら別だが」と、FW2人の同時放出を認めないことを表明。ブルッヒハーゲン会長も高原の移籍に関して、「オファーは受けたが、何も返事はしていない」と慎重な姿勢を示している。

とあって話はややこしくなりそうでしたが、これは単に移籍金吊り上げへ向けての駆け引きに過ぎなかったようです。 

 先にも述べたようにFWの補強は浦和がACL&Jリーグの2冠を狙うにあたって最優先事項。一時スポーツ紙で黒津@川崎の名前が挙がっていましたが、そんな小物で満足することなく日本代表クラス、いや万全であれば日本人FWでは飛びぬけた存在である高原に目を付けた中村GMは実に良い仕事をしたと思います。おまけに獲得に要した移籍金はわずか2億円弱。これに比べると今野に4億円払うなんてアホですなぁ・・・ 実績のない梅崎に2億円払ったのもアレですが・・・

 さて永井・達也・エジミウソン・高原とJリーグレベルなら一線級のFWが4人も揃った今季。これをオジェックが使いこなせずにベンチで腐らせ、成績もでないようならシーズン途中での解任やむなしでしょう。

 昨年は戦術的に大きな進歩がなく、かつメンバー固定&コミュニケーション不足でチーム内に不満が広がり、最後はメンバー固定のツケで大失速しましたが、それでもオジェックが就任一年目でACL制覇&リーグ2位という成績を残せたのは評価に値すると思います。

 しかしリーグ戦開始まで十二分に休養が取れ、戦力も大幅に底上げされた2年目は言い訳無用。「スペクタクルであり、かつ強い浦和」という究極の目標に向けて選手共々邁進してもらいたいものです。

P.S.

 当初今野獲得を考えていたところを見ると、守備的な大物選手の補強でもう一回踊れるような気がしてなりません。水本@千葉は契約更改を済ませていないはずですし、また突如中タコの名前が出てくると大笑いですがwww

<「ら」的08年浦和(08.1.5)>

*ポンテ復帰前

--エジミウソン--高原--
-----梅崎-----
三都主-------暢久
---阿部--啓太---
-坪井-闘莉王-堀之内-
-----都築-----

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【フランクフルト4日共同】サッカーのドイツ1部リーグ、フランクフルトに所属する高原直泰(28)の代理人は4日、フランクフルトとの契約を解除したことを明らかにした。Jリーグ1部(J1)浦和が高原の獲得の申し入れをしており、浦和への移籍が決定的となった。
 この日、フランクフルトのブルッフハーゲン会長と高原、高原の代理人が話し合って決まった。高原は早ければ7日にも帰国し、浦和と契約する見込み。
 高原は2009年までフランクフルトとの契約が残っており、移籍金は100万ユーロ(約1億6000万円)以上とみられる。高原は2002年12月にJ1磐田からドイツ1部リーグのハンブルガーSVに移籍し、06年7月にフランクフルトに移った。

[ 共同通信社 2008年1月5日 1:20 ]

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2008.01.04

東海道行脚10:二川~藤川

 またまた前回から随分間が開いてしまいましたが、ちびちびと歩を進めてゆきましょう。不退転の覚悟でこのシリーズを今オフ中になんとしても終結させますので、しばらくお付き合い願います。

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二川宿から吉田宿まではほぼ国道1号に沿って6kmほど。

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 吉田宿は現在の豊橋。大規模な宿場であると同時に城下町でもあったのですが、戦災後区画整理が行われたこともあって、昔の街並みの名残を見つけるほうが難しいかも。上写真は本陣跡。

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 豊橋は路面電車が健在。路面電車王国広島を筆頭に西日本には結構路面電車が残っているのですが、東海道沿線ではここ豊橋だけ。トヨタのお膝元にも関わらず、とかく車から邪険にされがちな路面電車が生き残っているのは奇跡といっていいのかも。

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 マンホールの蓋にも路面電車が誇らしげ。背景は豊橋市公会堂と市の花つつじ。

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 首都圏では全くと言っていいほど知られていませんが、豊橋など東三河地方では手筒花火が盛ん。打ち上げではなく、上絵のように竹筒に火薬を詰めた花火をオッサンが抱えながら火を吹き上げるという何とも勇壮というか物騒な花火。

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豊川を渡って特段見所のない道をだらだらと10kmほど西下。御油(ごゆ)宿の手前に遠州見付宿(=磐田)へと延びる姫街道の分岐点がありました。

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 御油宿は近くを国道1号や名鉄が走っている割には古い町並みがそこそこ残っています。明治になって東海道本線がはるか南方の蒲郡を通ったため御油は急速に衰退し、昭和になって遅ればせながら名鉄が開通したものの時既に遅しといった模様。

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 広重の版画を見ると、飯盛女が旅人を引き留めています。どうも御油はそういうサービスで有名だった模様・・・

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 御油宿の先に残る見事な松並木。もともとは650本もの松が植えられており、江戸期は幕府が厳重に管理していたそうですが漸次本数が減り、伊勢湾台風の被害もあって一時は170本ほどに減ったとのこと。その後地元の愛護会が中心となって保護・育成が進められているようです(参考)。

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 御油宿から次の赤坂宿まではわずか1.6kmしかありません。当初は「御油・赤坂」で一つの宿場だったとの話も。

 宿場町の名残をよく留めている理由は御油宿と同じ。飯盛女で有名だったのももちろん同じ。上写真は今も営業を続けている旅籠「大橋屋」。

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 次の藤川宿までは国道1号をひたすら歩きます。この区間は名鉄が併走。

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 この辺りまで来ると名古屋の文字がぼちぼち出てきます。つぶれてちょっと見づらいのですが名古屋牛乳のマークはやっぱりシャチホコw

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 藤川宿の入り口に到着。門の右にある石垣は宿の出入り口を示す「棒鼻」。

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 棒鼻は広重の版画にも描かれていて藤川宿の象徴になっています。

 先の棒鼻は随分新しいように見えますがそれもそのはず、この棒鼻は92年に復元されたもの。

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 日が翳ってきたので今回はこれまで。藤川宿も名鉄が通っているとはいえ、駅はこんなに素寒貧としたものでしかないあたりに、御油・赤坂宿同様明治以降急速に衰退したのがはっきりと伺えます。

(続く)

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2008.01.03

正直スマンかった

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 広島サポの皆さん、ペルーレサポの皆さん、正直スマンかった。

 今年も「ゴール裏勝てないよ伝説」は不滅のようです・・・orz

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つけ麺大臣@渋谷

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 渋谷ウインズの近くに出来たつけ麺専門店。もともと「空海」があった場所で、空海の別ブランドだとか。

 鶏醤油つけ麺(中)を注文。温盛りにしてもらいました。

 大・中・小同値段で680円と東京のつけ麺としては割安。鶏醤油つけ麺は「安い、旨い、大満足」が謳い文句。

 店内はうなぎの寝床状でカウンターのみ。

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 鶏のだし汁に醤油ダレ。やたら甘いとか、甘くなくてもどろっとしているつけダレが主流の中、超あっさり。良く言えば麺の味を楽しめる(中太麺はやや固めの仕上がりでした。)ともいえますが、単にスープにかける材料費をケチってスープの深みを失っただけのような・・・ つけダレには鶏肉とメンマ。ざるにはノリが一枚と魚粉が少々。

 スープ割りにすると鶏のコクがしっかり出ていて、なんかつけ麺ではなく細麺の醤油ラーメンとして出したほうが完成度高いんじゃないの?という気も。

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2008.01.02

百歩ラーメン@戸田

 「本気屋@戸田」を食べに行った時に偶然発見した店。戸田市役所の南にあります。

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 随分と派手な外観。

 店内は奥行きがあり、しかも中央にレジがあるので見通しが効きませんが、店内はカウンターの他にテーブルが4卓ほどあったでしょうか。かなりの人気店のようで、ひっきりなしに客がやって来ます。

 百歩ラーメン(麺堅め)を注文。600円と比較的割安感あり。今時珍しく食券制ではなく、店員が注文を取りに来ます。店員はお揃いの赤Tシャツ着用。

 高菜とネギが取り放題ですが、とりあえずは何も入れずに食べてみました。

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 スープはマイルドかつクリーミーなとんこつ。臭みはほとんどありません。麺は並太ストレート。具は海苔にメンマ、それにバラ肉チャーシュー。

 なんか終始単調。人を惹きつけるような何物かが欠けていました。

 替え玉(100円)を頼んで次はネギと高菜、それにすりゴマを入れて食べましたが、こうするとまずまずかな(でもスープは半分しか飲めず)。最初から客が好みに応じてネギや高菜を入れることを前提にスープを作ってあるのでしょう。まぁ総じて悪くはないけれど並んでまで食うレベルではないかと。

 なお標準的な博多ラーメンによくある極細麺よりは麺はかなり太いため、替え玉を堅めで頼んでもそこそこ時間がかかり、スープが冷めてしまうのは難点。量が物足りないと感じる向きには替え玉を頼むよりは最初から大盛りにするべきでしょう。

 北浦和に本店があるようですが、そちらはどうなんでしょう?

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2008.01.01

謹賀新年

謹んで新春をお祝い申し上げます。

旧年中は弊ブログをご愛読いただき、誠にありがとうございました。

今年もネタには事欠かない浦和レッズを中心に、趣味の旅行ネタやB級食いもんネタを織り交ぜながら、とりとめないブログ運営を続けてゆく所存でございます。

浅学にして至らぬところも多々あるかと思いますが、今後とも弊ブログをご贔屓の程よろしくお願い申し上げます。

本年も皆様が御健勝で御多幸でありますよう、心からお祈り申し上げます。

  2008年 元旦

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