佐原散策(下)
(前回から続く)
佐原出身で日本史上に残る超有名人といえば伊能忠敬。江戸後期に高精度の日本地図を作成した人物として知られています。
忠敬は18歳の時に佐原村の伊能家に婿養子に入り、以来しばらくは商人として活動。酒、醤油の醸造、貸金業等で成功を収め、かなりの財産を築きました。1794年(寛政6年)50歳の時に隠居し、家督を長男景敬に譲ったのちに江戸に出て、江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などをおさめ、1800年(寛政12年)、56歳の時に、第1次測量を開始。以後測量を重ねて作られたのが大日本沿海輿地全図です(但し、完成したのは忠敬没後の1821年)。
佐原には伊能忠敬の旧宅が残っています。小野川に面して、眼前に船着場があるいかにも商家然とした構え。
旧宅の庭には忠敬の像が。
かなり童顔の爺さんです。
旧宅から川を挟んだところに「伊能忠敬記念館」が建っています。 予め井上ひさし「四千万歩の男」を読んでおくと展示物がより一層楽しめます。
よく知られていることかもしれませんが、忠敬は初めから地図作成を意図して測量の旅に出たわけではなく、元々は緯度一度の長さを測量によって正確に知りたかったというのが本意。その意図とロシアの脅威に対して蝦夷地測量を強化したい幕府の意図が合致して蝦夷地測量の旅に出たのが事の始まり。もっとも幕府は忠敬に大して期待していなかったようで、当初はほとんど忠敬の手弁当。
しかし出来上がった地図の精度に幕府がびっくり! 第4次測量からは国家事業にのし上がって、幕府から手当ては出るわ、随行者は付くわとなったようです。
ちょうど昼飯時になったので「小堀屋本店」に行って見ました。創業は1782年(天明2年)。この店も江戸時代の形式そのままにつくられており、開店早々観光客で賑わっていました。メニューは地方のごく一般的な蕎麦屋同様手広く扱っていますが、真っ黒な「黒きりそば」が有名。900円也。
真っ黒です。黒いのはイカ墨ではなく、昆布を使っているため。
ただ浅黒い田舎蕎麦が太くて堅いのとは対照的に、黒きり蕎麦は細くて柔らかい。いわゆる東京の更科そば風で私の好みとは正反対。やっぱり蕎麦は太くて堅くなくっちゃ(この辺、婦女子の方はあらぬ妄想に走らないように)。おまけに値段の割には量も少ない。汁もありきたりで、まぁ物の試しに一回食えば十分かと。
なお隣の別館は本館とは対照的に大正~昭和初期風の堂々たるコンクリ造りですが、それもそのはずで旧千葉銀行佐倉支店。
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古い町並みを売り物に観光客を呼び込むのに成功したためか、地方都市には珍しく市街中心部の中小商店が賑わっています。もっとも市街空洞化に無縁といわけではなく、駅近くの大型店は潰れて野ざらしになっていましたが、それでも今時の地方都市の中では元気があるほうでしょう。成田が近いため、地味な観光地にも関わらず外国人観光客の姿もちらほら。
ただ街を歩いてみて非常に残念だったのは、観光名所が集まる通りにも関わらず車の通行が非常に多いこと。歩道が狭いのでぼんやり建物を見学していると非常に危ない。川越も似たような感じですが、観光客がさらに増えた場合に問題となるのは必至。市中心部ゆえ車の乗り入れを規制するわけにも行かず、道を広げて歩道を確保するのも難しいでしょうが・・・
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