幻の長崎遠征(2)
幻の長崎遠征(1)から続く
「葉隠」で有名な鍋島氏の城下町佐賀。っちゅーても葉隠自体を知らん方が急速に増えているでしょうなぁ・・・ 現在の佐賀県と長崎県の一部にまたがる35万7千石の大藩だったのでさぞかしご立派な城が建っているのだろうと期待して出かけると、城跡はものの見事に公共施設で埋め尽くされ、水堀が若干残っている他はわずかに鯱の門(上写真)が現存するのみ。明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失してしまったので致し方ないといってしまえばそれまでですが。
かつては幾重にも外堀を巡らし、城が攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていて、「沈み城」とも呼ばれたそうですが、今となっては相当妄想を働かせないと往時を偲ぶことはできません。
但し、唯一残った鯱の門は横矢を射掛ける続櫓を従え、なかなか威圧感があります。
門の脇にアームストロング砲が展示されていました。アームストロング砲は幕末戦乱時の最新式の大砲で、佐賀藩がこの砲で彰義隊を撃滅。端的にいえばアームストロング砲を佐賀藩が持っていたことで「薩長土肥」の「肥」に名を連ねることができたようなものです。もうちょっと砲身が長いものと思っていたですが、外見は幕末物ドラマに出てくる大砲と大差ありません。
雄藩の一つであった佐賀藩の名残が鯱の門だけではあまりにも寂しいと思ったのかどうか定かではありませんが、本丸に建っていた学校を移転させて、その跡に「本丸御殿」を再建したのは快挙といっていいでしょう。再建にあたっては発掘調査で確認された棟割・部屋割と古図、写真等が利用されたとのこと。
御殿内は佐賀藩の歴史を紹介する資料館として活用されています。もっともただ畳を敷き詰めただけの部屋も多々あって、JAFCに「時代劇をやれ!」とばかり誘っているようでもあり・・・
なお「本丸御殿」は一定の入場料を取るのではなく、満足度に応じて寸志を置いてゆくという「チップ制」を採用しています。
佐賀城にはかつて1611年(慶長16年)に鍋島勝茂がいったん五重の天守を完成させたものの、1726年(享保11年)に大火で焼失。以来再建されず、今は天守台だけが残っています。
なお本丸御殿も同時期に焼失。その後二の丸に御殿完成(1728年)→火災で焼失(1835年)→本丸御殿再建(1838年)→解体(1920年)という歴史を辿っています。
博多・久留米の「とんこつラーメン文化圏」と長崎の「ちゃんぽん文化圏」に挟まれて些か影の薄い佐賀のラーメン。とはいえ、福岡の強い影響下にある佐賀のことですからそれなりに旨いラーメン屋もあるだろうと思って出掛けてみました。
佐賀城近くにある「一休軒本店」。いかにも老舗然とした店構えです。暖簾をくぐると店内は9割がた埋まっていて人気店の様子。L字型カウンターと奥にテーブルが2卓ほどといったさほど大きくもない店で、夫婦2人で切り盛りしていました。その後も三々五々お客さんがやってきます。早速ラーメンを注文。550円也。
いなり3個(200円)やおにぎり2個(200円)といったサイドメニューがある他、大盛(700円)との表示があるところからすると替え玉はやっていないのかもしれません。
店内に充満するとんこつ臭に少々脳をやられながら、本格的な濃厚とんこつらーめんが出てくるものと期待して待っていたのですが・・・ ちょっとスープ薄くね?良く言えば雑味がないともいえますが・・・ 麺も柔らかめの仕上がりで好みとは外れ(硬めの注文はできるようです)。うーん、店の外観から期待感が高まったあとだけに少々がっかり感を抱いて店を後にしました。
佐賀城見物を一通り終えて佐賀駅へ戻る道すがら、小腹が空いたので偶然見かけたラーメン屋「かどや」に突入。「一休軒本店」とは対照的に、いかにも今風の小じゃれたラーメン屋です。コの字型カウンターがあるだけの小さな店ですが、食事の時間帯から遠く外れていたので店内は閑散。
濃厚とんこつが売り物の模様。赤・白・黒と3種類ありましたが、赤を注文(550円)。店内の能書きによると「トウガラシ、コチュジャン、にんにく、ゴマ、鶏ガラで仕上げた」云々とありました。
麺は極細ながらコシがしっかり。麺を硬めにしてもらったこともあって好みどおりの出来に。スープも看板に違わない濃厚風味なのですが、とんこつの臭みはほとんどありません。この辺は東京ナイズされたとんこつラーメンとそっくり。旨いことは旨いのですが、なんかどこかで食ったような味。何に似ているのかなぁ・・・
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