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2008.01.17

東海道行脚17:大津~三条大橋

東海道行脚16から続く)

 2000年6月から延べ16日に及んで歩きに歩いた東海道行脚も残すは大津から三条大橋までわずか一区間、10km強のみ。

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 大津駅は街の南外れ。街の中心部は坂を下った琵琶湖周辺。駅の南には逢坂山が迫っています。

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 大津事件碑。大津事件とは1891年に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件で、「司法権の独立」「裁判官の独立」を語る上で欠かせない事件です。

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 大津から逢坂を越えて山科までは京阪京津線が並走。昔は山科からさらに三条大橋まで京阪京津線が並走していましたが、残念なことに97年から京都市営地下鉄東西線として地下に潜ってしまいました。地下鉄へ直通する4両もの電車がチンチン電車よろしく路面をゴロゴロ走っているのはかなり違和感があります。

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 東海道本線を跨ぎこした先に蝉丸神社下社。蝉丸は琵琶の名手で百人一首、というか坊主めくりで有名。蝉丸神社は平安時代の嵯峨天皇のときに猿田彦(さるたひこ)と豊玉姫(とよたまひめ)をまつり、円融天皇のときに琵琶の名手・蝉丸をあわせてまつったもので歌舞音曲の神として音楽に関わる人々の信仰を集めています。蝉丸神社は上・中・下の三社に分かれていますが、一般的に蝉丸神社といえば下社を指すようです。

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 だらだらと坂を登って逢坂関を越えます。

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 坂を登った先には蝉丸神社上社。

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 山科の追分に達してついに京都到着。追分の先は名神高速・京都東ICで東海道が分断される格好になっており、とぼとぼ歩いているとちょっと物騒。

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 車石。車石とは湿土の多い峠の坂に轍がめり込むのを防ぐために工夫されたもので、閑栖寺の案内板によると「大津から京都三条にかけて約3里(12km)の間に物資輸送用の牛馬車の通行を楽にするために花崗岩に溝を刻んだ切石を敷き詰めた。1802年(文化2年)に京都の心学者脇坂義堂が発案し、近江商人中井源左衛門が私財を投じた」とのこと。

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 山科を過ぎて地下鉄御陵(みささぎ)駅近くにある不自然な緑道。どう見ても京阪京津線の跡です。

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 唐突に日時計が飾られていますが、御陵駅の近くに天智天皇陵があり、その天智天皇がわが国で初めて水時計を作ったことにちなんで京都時計商組合が建てたもの。なんか2重、3重に屈折したモニュメントです。

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 こちらも車石にちなんだモニュメント。

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 三条通に沿って緩やかな坂(日岡峠)を登ると

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 ついに蹴上に。レンガ造りの建物は蹴上発電所。このあたりは浄水場やインクライン等近代化遺産の宝庫です。

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 三条大橋の東に建つ高山彦九郎像。高山彦九郎は江戸時代中頃の勤王思想家で、像は御所を拝礼した姿を模ったもの。俗に土下座像と呼ばれていますが、なんて失礼な!

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 ついに京三条大橋に到着。街はまだ正月気分が抜けない模様。おまけにこの日は成人の日にあたり、着慣れない装束を身にまとった若輩者がぞろぞろ固まって歩く姿が目につきました。

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ということで、だらだらと続いたこのシリーズもようやく大団円を迎えました。ここまでご愛読いただき御礼申し上げます。

なおお祝いの品は開幕戦@日惨で受け付けております。

(完)

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