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2008.01.04

東海道行脚10:二川~藤川

 またまた前回から随分間が開いてしまいましたが、ちびちびと歩を進めてゆきましょう。不退転の覚悟でこのシリーズを今オフ中になんとしても終結させますので、しばらくお付き合い願います。

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二川宿から吉田宿まではほぼ国道1号に沿って6kmほど。

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 吉田宿は現在の豊橋。大規模な宿場であると同時に城下町でもあったのですが、戦災後区画整理が行われたこともあって、昔の街並みの名残を見つけるほうが難しいかも。上写真は本陣跡。

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 豊橋は路面電車が健在。路面電車王国広島を筆頭に西日本には結構路面電車が残っているのですが、東海道沿線ではここ豊橋だけ。トヨタのお膝元にも関わらず、とかく車から邪険にされがちな路面電車が生き残っているのは奇跡といっていいのかも。

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 マンホールの蓋にも路面電車が誇らしげ。背景は豊橋市公会堂と市の花つつじ。

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 首都圏では全くと言っていいほど知られていませんが、豊橋など東三河地方では手筒花火が盛ん。打ち上げではなく、上絵のように竹筒に火薬を詰めた花火をオッサンが抱えながら火を吹き上げるという何とも勇壮というか物騒な花火。

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豊川を渡って特段見所のない道をだらだらと10kmほど西下。御油(ごゆ)宿の手前に遠州見付宿(=磐田)へと延びる姫街道の分岐点がありました。

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 御油宿は近くを国道1号や名鉄が走っている割には古い町並みがそこそこ残っています。明治になって東海道本線がはるか南方の蒲郡を通ったため御油は急速に衰退し、昭和になって遅ればせながら名鉄が開通したものの時既に遅しといった模様。

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 広重の版画を見ると、飯盛女が旅人を引き留めています。どうも御油はそういうサービスで有名だった模様・・・

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 御油宿の先に残る見事な松並木。もともとは650本もの松が植えられており、江戸期は幕府が厳重に管理していたそうですが漸次本数が減り、伊勢湾台風の被害もあって一時は170本ほどに減ったとのこと。その後地元の愛護会が中心となって保護・育成が進められているようです(参考)。

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 御油宿から次の赤坂宿まではわずか1.6kmしかありません。当初は「御油・赤坂」で一つの宿場だったとの話も。

 宿場町の名残をよく留めている理由は御油宿と同じ。飯盛女で有名だったのももちろん同じ。上写真は今も営業を続けている旅籠「大橋屋」。

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 次の藤川宿までは国道1号をひたすら歩きます。この区間は名鉄が併走。

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 この辺りまで来ると名古屋の文字がぼちぼち出てきます。つぶれてちょっと見づらいのですが名古屋牛乳のマークはやっぱりシャチホコw

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 藤川宿の入り口に到着。門の右にある石垣は宿の出入り口を示す「棒鼻」。

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 棒鼻は広重の版画にも描かれていて藤川宿の象徴になっています。

 先の棒鼻は随分新しいように見えますがそれもそのはず、この棒鼻は92年に復元されたもの。

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 日が翳ってきたので今回はこれまで。藤川宿も名鉄が通っているとはいえ、駅はこんなに素寒貧としたものでしかないあたりに、御油・赤坂宿同様明治以降急速に衰退したのがはっきりと伺えます。

(続く)

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(東海道行脚10から続く)  藤川宿は品川宿から数えて37番目の宿場町。1601 [続きを読む]

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