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2008.02.13

幻の長崎遠征(9)

幻の長崎遠征(8)から続く

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平戸の面白さはわずか90余年ですが国際貿易港として栄えたバタ臭い歴史を持つ一方、オランダ商館が出島に移って以降はさほど大きくはない城下町として歴史を積み重ねたため、狭い街の中で和洋が渾然一体となっているところでしょう。

ザビエル記念教会・光明寺・瑞雲寺の3つの寺院が重なる「寺院と教会の見える風景」は平戸の象徴としてつとに有名。

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平戸市中心街の西側高台に建つ「聖サンフランシスコ・ザビエル記念教会」。現在の教会堂は1931年4月に建てられたものですが、献堂40周年の1971年9月に、平戸にも三度にわたって布教に訪れた聖フランシスコ・ザビエルの像が聖堂のそばに建立され、これに伴い「聖サンフランシスコ・ザビエル記念教会(あるいは聖堂)」とも呼ばれるようになったとのこと。

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平戸の「和」を象徴するのが先に紹介した平戸城であり、もう一つが松浦史料博物館。旧平戸藩主松浦家と平戸の歴史に関する史料を収蔵した博物館ですが、もともと松浦氏が館を置いていた場所に建てられており、土台の石垣は往時のものがそのまま残っています。

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平戸が国際貿易港として栄えたのは、1550(天文19)年ポルトガル船の入港から、江戸時代の寛永18年(1641)に南蛮貿易港が長崎の出島に移されるまでのわずか90余年。

当初平戸で活躍していたポルトガルは、貿易と併せてキリスト教布教を目的としていたために次第に平戸の支配者とトラブルを起こすようになって退去。その後一時スペインやイギリスも平戸にやってきましたが、最終的に平戸で貿易の利を得たのはオランダでした。

オランダは時の平戸領主松浦鎮信の協力も得て波止場にオランダ商館を建設。周辺にはオランダ井戸、オランダ塀、灯台跡、埠頭など在時をしのぶ多くの遺跡をのこしています。平戸でのオランダ貿易額は後の出島をはるかに凌いでいたようですが、幕府の鎖国政策強化に伴いオランダ商館は長崎・出島への移転を命ぜられ、国際貿易港としての平戸の繁栄は終焉しました。

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 平戸が観光地として残念なのはオランダとの交易施設跡にはほとんど何も残っていないこと。長崎の出島も埋め立てられて長らく何もなかったのですが、昨今急速に復元が進んで続々商館が建っているのと比べるといかにも寂しい。

 ただ遅まきながら平戸の「オランダ商館」を復元する動きがあるようで、これが完成したら多少賑わいを取り戻せるかもしれません。

上写真は数少ない遺構の一つである「オランダ塀」。

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こちらは船着場。

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常灯の鼻。船が港に入るための目印として火が灯され、灯台のような役目を果たしていましたが、形状は純和風ですね。

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幻の長崎遠征(9)から続く 佐世保駅は01年に高架化されてから初めての探訪。3連 [続きを読む]

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