幻の長崎遠征(6)
幻の長崎遠征(5)より続く
島原城の西側には武家屋敷が残っています。通り中央の水路は湧水が豊富な島原ならでは。島原市の観光ガイドによると
島原城の築城のとき、外郭の西に接して扶持取70石以下の武士たちの住宅団地が建設されました。戦いのときには鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の住居であったので、鉄砲町とも呼ばれています。街路の中央の水路は豊かな湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきました。
島原城が竣工した1624(寛永元)年ごろ、藩主松倉氏は知行四万石で、鉄砲町も下の丁・中の丁・古丁の三筋だけでしたが、1669(寛文9)年松平忠房が知行七万石で入封してから、新たに上新丁・下新丁・新建の三筋が作られ、さらに幕末に江戸詰めの藩士が帰国することになって、最後に江戸丁が作られました。
とのこと。
山本邸。屋根が藁葺きなので、豪農の家と言われても判らないかも・・・
ただ単に邸内を公開するだけではなく、人形を置いて部屋が使われている様をビジュアルに判りやすくしようというのは良い試みです。書見の最中でしょうかね?
篠塚邸。当初、石垣や塀など無く、隣の家や庭が丸見えでまるで鉄砲の筒の中を覗いたかのように見えたために「鉄砲町」と呼ばれるようになったとの話もあるようですが、今は立派な生垣に囲まれています。
こちらは子弟を指導中でしょうか。
鳥田邸。山本家、篠塚家共々松平忠房が福知山から島原に移封された時に付き随ってようです。
これってどう見ても中村主水とその嫁・姑なんですが・・・
酒が不味そうだwww
公開されている武家屋敷は上記の三邸だけですが、それ以外にも武家屋敷風の邸宅がいくつもあってそれぞれごく普通に人々が暮らしています。従って武家屋敷の一角に軽自動車があったり、朝はゴミ袋が出ていて、ゴミを回収する車がやってきたりと結構普段着な街の姿を垣間見ることもできます。
湧水が豊富な島原、特に新町一帯の水路では鯉が泳いでいます。「鯉が泳ぐ街」としては他に津和野が有名ですが、津和野と違って島原はそれなりに地域一帯の中心都市として発展した街なので、鯉が泳ぐ姿に価値があります。
また近隣の雲仙温泉の影に隠れて知名度は皆無に等しいのですが、島原には温泉もあり、街の至るところに飲泉所があります。
|-`).。oO でも「ガンバ寿司」はいただけませんなぁ・・・
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