山陽路(7)
山陽路(6)から続く
津山城は大きな災害を受けずに明治維新を迎えたためか、多数の櫓を従えた5層の天守の姿が古写真にしっかり残っていますが、明治になって廃城とした際に建造物を徹底的に破壊してしまい、天守や櫓はおろか門すら残っていません。平成の世になって築城400年記念としてようやく「備中櫓」が復元されようやく面目を施した次第ですが、元々の規模が壮大だっただけにまだまだ寂しさは拭えず。ちょっとずつでも復元が進むことを願うばかりです。
建造物がほとんどないとはいえ、津山城に残る高石垣は見事。
南面には高石垣がひな壇のように三重に重なっています。
大手口。
城跡一帯は鶴山公園として整備されており、公園は有料(210円)。
三の丸、二の丸と登ってゆくと津山城唯一無二の見どころ「備中櫓」が頭上に覆いかぶさるかのように建っています。
裏鉄門から本丸へ
一見天守台のように見えますが、これは粟積櫓跡。「小天守」と称されていました。
本丸の東側は一段高くなって石垣で固められています。
津山城の天守は本丸中央ではなく、その西端に偏って建てられていました。層塔型の5層5階の天守(4層目は庇として数えず、4層5階と表記する例も)。
備中櫓は戦闘専用ではなく、むしろ居住用。従って内部は書院風に造られた区画さえあります。
(続く)
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