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2008.05.08

山陽路(10・了)

山陽路(9)から続く

 備中高梁は小さいながらも城下町。5~6万石の小藩ですがなぜか改易や転封が相次いで目まぐるしく城主が交代。またそれ以前の戦国期も城主が安定しなかったのですが、近代以降それほど街が発展しなかったのが幸いしてか、城下町の面影がはっきりと残っています。

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 政務は山のてっぺんにある城ではなく、麓の「御根小屋」で執っていたのですが、現在その跡は高校になってしまいました。高校なのに武家屋敷風の門構え。

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 旧折井家。代々板倉家に仕え、軍役を掌る物頭格。約200石程度の家柄とのこと。

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 板倉家では屋敷の規模を5段階に分け、家格と職務内容に応じて分け与えていたとのこと。折井家は二番屋敷に相当。

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 屋敷にはマネキンを置いてライブ感覚を演出しているのですが、どう見ても欧米人風のマネキンを置くのかいかがなものかと・・・ 

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 こちらは旧埴原(はいばら)家。120~150石取りの近習役・番頭役。

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 武家町から線路を渡って高梁川へ向かって降りた一帯には商人町が広がっています。そのうちの一つ旧池上邸が商家資料館として保存・公開されています。元々は享保年間創業の小間物屋だったのですが、高梁川の水路の船主や両替商で財を成し、さらに明治期に醤油の製造販売を始めたとのこと。従って商家資料館といっても館内は醤油製造に関する展示が主を占めています。

 建物は天保の大火災後に建築されたもの。

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 備中高梁の良いところは、この池上邸だけではく、それに連続する本町の商店街が一体となって「古い町並み風」で家屋を統一しているところ。当然ながら新築・改築には何かと制約がかかり、かつコストもかかるのでしょうが、観光客を引き寄せるにはこうした取り組みが必須。津山で残念な例を目にしたばかりだっただけに、より好ましく思いました。

(了)

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