大垣城~アウェー名古屋2008
(養老鉄道から続く)
大垣駅は「ムーンライトながら」(というか、個人的には未だに大垣夜行のほうがしっくり来ますが・・・)の乗り換えでお世話になった方も多いかと思いますが、まさに駆け足での乗換えだけで、駅の外に出たことがない方も少なくないかと。
改札口近くに立ち食いそば屋があったはずですが、いつのまにかなくなっていました。
近隣の岐阜城と比べると知名度に劣るのは否めませんが、大垣にもお城があります。戦前まで4層4階の天守が残っていましたが、残念ながら戦災で焼失。戦後鉄筋コンクリートで再建されて今日に至っています。駅から天守まで歩いて10分ほど。周囲は完全に市街地になってしまい、東門からいきなり本丸に突入する格好になります。
東門は旧柳口門を移設したもの。その脇を固める多門櫓。
大垣城の本丸は狭く、しかも木立が多いために天守の全容を眺められる場所が極めて限られています。たぶんどの写真も同じアングルになっているかと。
四重四階という天守は死に通じる「四」を嫌う日本人の感覚からすれば極めて珍しいもの。
窓にはサッシが・・・ 大垣城は明治になっても破却を免れましたが、残念ながら戦災で焼失。今の天守は1959年に外観復元されたもの。
こちらは西門。
西門の傍には戸田氏鉄の銅像。戸田氏は氏鉄以来大垣10万石を長きにわたって治めましたが、いかんせん戦国期から関が原に至るまで表舞台に出てこない人物なので、地元以外では知名度皆無かと・・・
天守に登ってみました。
入場料わずか100円ですが、最近展示物をリニューアルしたのか、パネル展示中心ながら100円の割には破格に充実した内容。大垣城は関が原合戦の前哨戦の舞台にもなっているので、それに関連した資料も目立ちます。
外堀をなす水門川。
大垣駅前で目立つ松尾芭蕉。大垣は「奥の細道」結びの地ですが、「奥の細道」は観光材料的に見れば北陸路に入って以降はあってないようなものなので、結びの地はさらに苦しい・・・
大垣の名物「水まんじゅう」。大垣は地下水が豊富であちこちに自噴井戸があり、「水の都」と呼ばれているとのこと。
(続く)
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