安土城~アウェー神戸2008(2)
(「安土散策」から続く)
安土に出かけたのは「信長まつり」の見学が本旨じゃないんで、安土城址にも足を運びます。
安土城址は信長が城郭内に建立した総見寺が管理する格好になっていて、本来は入山料500円が必要ですが、この日は「信長まつり」ということで無料でした。
山頂へと続く大手道。幅広かつ直線的に伸びる大手道は安土城の最大の特徴で、一般的な城郭であれば敵が侵入しにくいように折れ曲がりを設けそうなところ。
安土山に築かれた安土城は「平山城」に分類されますが、平らなところ、すなわち曲輪のようなところはあまりありません。従って実質的には山城っぽくて、いくら天守が巨大だったとはいえ、天下に号令を発する拠点としてはいかにも手狭。
上写真は大手道の脇にある「伝羽柴秀吉邸主殿」の跡。その向かいには「伝前田利家邸」がありました。
山頂へ近づくにつれて大手道も若干折れ曲がってきましたが、見通しが良いのは相変わらず。
安土城には石垣の不足を補うために石仏が利用されています。上写真はその一つの「仏足石」。御釈迦さまの足跡を表現したもので古代インドでは仏像に先立って崇拝の対象になっていたとのこと。他に大手道の石段に転用された石仏もあって、そのままの姿で復元展示されていました。
なお比叡山や石山本願寺と激しく対立したため「仏敵」のイメージが強い信長ですが、石仏の転用は大和郡山城を始め、大坂城や姫路城などでも見られ、さほど珍しいことでもないようです。
織田信長公本廟は参拝できず、遠望するのみ。
ようやく天守台跡に到着。5重7階(地上6階、地下1階)の巨大天守がここに聳え立っていたわけですが、礎石が見えているのはその地下部分。本来の天守台(一階相当部分)はこの2倍半近くあるそうですが、石垣上部の崩落が激しいためにその全貌が再現できないとのこと。
山頂からは琵琶湖が一望・・・と言いたいところですが、見えているのは「西の湖」。琵琶湖につながる内湖の一つです。かつての安土城は三方をこうした内湖に囲まれ、湖に突き出した半島のような格好だったとのことですが、現在は西の湖を残して周辺部は干拓が進んで田んぼだらけになってしまいました。
先日紹介したお堀巡りの船は西の湖あたりにも顔を出すみたいです。
天正年間に安土城築城に伴って織田信長によって城郭内に建立された総見寺。織田信長は近隣の社寺から多くの建物を移築・建立したようで、今も安土城址内に三重塔とニ王門が残っています。重文に指定されている三重塔は1454年(享徳3年)建立で甲賀長寿寺より移築されたものとのこと。1854年(安政元年)の大火で多くの建物が焼失してしまったのは誠に残念です。
(続く)
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