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2008.07.23

続長浜散策~アウェー神戸2008(2)

「長浜散策」から続く)

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あまり知られていないことかもしれませんが、長浜は門前町としても顔も持っています。黒壁スクエアの奥にある大通寺がその中心。大通寺の前にはそれなりの表参道があって、軽食やお土産等の売店が建ち並ぶ、いかにも門前町な風情を醸し出しています。

和洋折衷的というよりかなり洋風的な黒壁スクエアとは対照的な風景がすぐ近くで展開されているっちゅーのは妙といえば妙ですが、面白いといえば面白い。

大通寺はもともと長浜城址に建っていたそうですが、1652年(慶安4年)に現在の地に移ってきたとのこと。

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大通寺はキツネに縁があるようです。調べてみると「お花」というキツネが大通寺に住んでいて、それにまつわる逸話があるとのこと。

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でもこのモニュメントはちょっと不気味だわなぁ・・・

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お城あり、ショッピングストリートあり、御坊さんありと観光スポットに事欠かない長浜ですが、そんなところでも人気のない「シャッター通り」があります。どうしてこの一角だけ取り残されたのかは判りませんが、黒壁スクエアというアイデアがなかったら長浜の商店街全体がこうなっていた可能性もあったわけで・・・

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黒壁スクエアから戻って、長浜駅近くの「長浜鉄道スクエア」にも立ち寄ってみました。

大宮の「鉄道博物館」と比べると甚だ小ぶりですが、日本の鉄道の黎明期に京都→敦賀の連絡が重視され、その行程で琵琶湖水運との絡みで長浜駅が重要な位置付けを持っていたことや、昭和期以降の一連の北陸線の輸送力強化の過程(トンネル敷設による距離短縮とか交流電化とか)等をパネルや展示物で要領よく解説してあります。

上写真は「旧長浜駅舎」で現存する駅舎では最古のもの。

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京都~敦賀の連絡に際しては東海道線が出来るまで敦賀~長浜が鉄道、長浜~大津が琵琶湖の汽船、大津~京都が再び鉄道というルートになっていました。そのため長浜は水陸の連接点として重視されました。旧長浜駅舎内ではその当時の模様を再現しています。

上写真は1等・2等待合室。この時代はおろか、戦前を通じて鉄道には1等、2等と3等の間には厳然とした格差があります。こういうのを見ると、今のはやり言葉の「格差社会」のどこが格差なのかさっぱり判らんという気になりますな。

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旧長浜駅舎に隣接して「北陸線電化記念館」が建っています。上写真は交流用の電気機関車「ED70形」。隣にD51(通称「デゴイチ」)蒸気機関車がありました。交流電化がどうしたこうしたというマニア話は全部割愛します。

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 朝から歩き通し。旅の終わりは「長浜浪漫ビール」で締めることに。

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まだ日が高い時間なので店内はガラガラ。一組だけいた客は入れ替わりに帰ってしまいました。早速「長浜エール」を注文。グラスはスリムグラス(290ml)、パイングラス(380ml)、ラージグラス(550ml)を選べましたがパイングラスをチョイス。

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 こちらは期間限定の「ショコラエール」。公式サイトによると「高温で焙煎したモルトが、ビターショコレートのような香りを醸しだしています。風味豊かな、ドライな黒ビールです!」とのこと。

 まぁハムとなんこつ揚げだけでこれだけ飲めばちょっと飲みすぎですなぁ(^^;

(このシリーズ終わり)

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