新発田城~アウェー新潟L2008
「東横」で腹を膨らませた後は電車に乗って新発田(しばた)を城址中心に散策してみました。上写真は新発田駅。新発田は新潟市の東にある旧城下町です。
駅から新発田城址までは徒歩30分弱。新発田城は典型的な平城で、本丸に至るまで起伏もなんにもありません。
上杉氏の会津転封に伴い、1597年溝口秀勝が新発田6万石に入封したのが現在残る新発田城の始まりで、城が完全な形となったのは三代藩主・溝口宣直の時代(1654年頃)とされています。
新発田城の誇る三階櫓。明治初頭に撮影された古写真などを資料として考証・設計され、伝統的手法によって2004年に復元されたもので、新発田城の実質的な天守でした。三階櫓の最大の特徴は屋根の棟が丁字型で、屋根に三匹の鯱が載っていること。
城壁に海鼠壁(建物の腰まわり部分に平らな瓦を張り詰め、そこに漆喰で蒲鉾形の目地をつけた壁で耐水性が高い)が用いられているのは雪国らしい工夫です。
二の丸隅櫓。もともと鉄砲櫓が建っていた位置に移築されたもので重要文化財。
表門。これも現存のもので重要文化財。
辰巳櫓も三階櫓と同じ2004年に復元されたもの。
こちらは内部が公開されています。訪れた日は6月というのにカンカン照り。櫓内には当然ながら冷房なんてありませんから案内人はちょっと辛そうでした。
新発田城址散策の上で最大の難点は隣が陸上自衛隊の駐屯地であること。上写真は辰巳櫓前から駐屯地を眺めたものです。まぁ城址が役所や警察署、学校等の公的施設になっているところは数多あり、元々軍事施設だった城に自衛隊が入るのはある意味自然といえば自然な流れなんですが、国内の敵から攻められることを想定した城と国外から攻められることを想定した自衛隊とでは同じ防衛施設とはいえ求められるスペックは全然違うでしょうし、現在も城址をそのまま駐屯地として活用している例は案外少ないかも。
自衛隊の敷地に入り込んだ所に建っている三階櫓は、その復元にあたって「非公開」との条件がついたとのこと。やむを得ない話です。
表門の向かいには「堀部安兵衛」の像が建っています。堀部安兵衛といっても「忠臣蔵」を知らないと何のこっちゃ?でしょうが、堀部安兵衛は新発田の出身。
なお幕末に長岡藩を中心とする奥羽越列藩同盟が薩長軍と戦っている最中に、新発田藩が突如薩長側に寝返って同盟軍壊滅の切っ掛けを作ったという史実があるため、新発田は周辺地域とは微妙な関係だとか・・・ もっとも新発田側に言わせるともともと無理やり同盟軍側に引きずり込まれていただけだということらしいのですが・・・
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