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2008.08.26

岡城~アウェー大分2008

「府内城」から続く)

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 あんまりな試合でささくれだった心を癒しにローカル線の旅に。早朝のローカル線はいつも高校生だらけ。東九州といえばかつてはボロ列車のたまり場だったのですが、来るたびにどんどん新しい車両に入れ替わっています。

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 大分からディーゼルカーに乗って1時間ほどで豊後竹田駅到着。ここから「荒城の月」で有名な岡城へ向けて歩きます。「夏とはいえ朝は涼しい」というのは今や大嘘。それなりに気をつけないと熱射病になっちゃいますね。

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 駅から岡城の入口までは竹田高校へ向かう高校生と抜きつ抜かれつしながら川を渡り、商店街を抜け、トンネルをくぐって坂を登る等々で徒歩20分ほど。

 岡城は有料。巻物状のパンフレットって初めて見ました。新奇性は買えるんですが、畳んでポケットに突っ込めないので不便と言えば不便・・・

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大手門へと至る登り口。岡城は典型的な山城で、古くは1185年(文治元年)に大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が源義経を迎えるため築城したと伝えられ、その後南北朝時代・建武年間に大野荘志賀村南方に住む志賀貞朝が大改修して「岡城」と名づけたとのこと。

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大手門跡。岡城が現在の様式になったのは豊臣期に中川秀成が入府してから。加藤清正没後の調定のため熊本へ行く際に訪問した藤堂高虎の助言により大手門を東向きから西向きに改めたらしいのですが、どこにでも出てきますなあ、城郭コンサルタント藤堂高虎。

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 山の背を切り開いて城郭を作っているのがよく判る図です。左側の大きなスペースが西の丸。中ほどの小さな区画に本丸・二の丸・三の丸が固まっており、右手奥が御廟曲輪。

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観光ガイドでは必ずといっていいほど取り上げられる二の丸・三の丸の高石垣。草木が枯れてなくなる冬のほうがより綺麗ですね。

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本丸・二の丸・三の丸への入口を固める太鼓櫓。

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滝廉太郎像。「荒城の月」作曲者の瀧廉太郎は幼少期を竹田で過ごしており、この岡城にて曲のイメージを得たといわれています。

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岡城は大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する標高325mの台地上に築かれ、見るからに難攻不落。実際天正年間の島津氏侵攻を兵数で遥かに劣る志賀親次が見事に撃退したという史実も。

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西ノ丸御殿跡。

岡城は建造物が何も残っておらず、残るは石垣ばかりなりなんですが、それだけに妄想を膨らませるにはもってこいの、まさに名城です。

(続く)

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(「岡城」から続く)  岡城は山城といえども案外奥行きがあり、朝からうろうろして [続きを読む]

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