阿波&讃岐紀行(7・了)
(阿波&讃岐紀行(6)から続く)
琴平から電車に乗って城下町丸亀へ。
駅の天井に飾られた凧。丸亀といえば団扇が有名ですが、同じ紙と竹で作るものゆえ凧作りにも力を入れているのかも。
駅から城へ向けて伸びる商店街はごらんの有様。
駅から徒歩10分ほどで丸亀城到着。高石垣の上にちょこんと小さな天守を乗せただけの随分と小ぶりな城ではありますが、これでも全国に12しかない現存天守の一つで非常に貴重なもの。天守はもちろん現存天守の中で最小。
丸亀城は当初生駒親正が豊臣期に讃岐17万石を与えられ、高松城を本城とした時の支城として位置づけられていました。江戸期に入って当然ながら一国一城令により破却の危機にさらされましたが、時の藩主・生駒正俊は要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限。城を破却から守ったとのこと。
その後生駒氏が改易となり、山崎氏が5万石で丸亀藩が成立したから丸亀城がその本城となるというやや複雑な歴史を背負っています。現在の丸亀城は山崎氏の後に入った京極氏の手によるもの。
大手二の門と一の門。ともに現存。大手一の門は、1670年(寛文10年)に建築され、藩士が太鼓を打ち、刻(とき)を知らせていたことから”太鼓門”とも呼ばれていたとのこと。
丸亀城の誇る高さ60mの高石垣。緩やかに裾野を描きつつも、上に行くに従って急激にそそり立つ「扇の勾配」。伊賀上野城のような直線的な高石垣と対照的で、熊本城と似たタイプです。天守がしょぼい代わり、この高石垣を全面に出して城に威圧感を加えています。
天守は見る向きによって全く印象が違います。端的に言えば瀬戸内海からよく見える側はそれなりに意匠を凝らしていますが、海から見えない側はのっぺらぼうで素寒貧。なんか物凄く見栄っ張りだったような・・・
一日中氷雨と雪に祟られっぱなしで、若干予定を早めて撤収。瀬戸大橋を渡るのも久しぶりでしたが、視界が効かずにさして面白いこともなく。
岡山到着。写真はJR四国の誇る電車特急「しおかぜ」。
2日ともうどんばかり食べていたからというわけではありませんが、岡山駅で「まるまる穴子寿司(みよしの 950円)」を購入。岡山駅中央入り口近くにある弁当売り場も相当冷えていたようで・・・(´・ω・`)ショボーン
(このシリーズ終わり)
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