阿波&讃岐紀行(5)
(阿波&讃岐紀行(4)から続く)
早朝から「ことでん」に乗って琴平へ。バブル期に瓦町駅に「コトデンそごう(現在は高松天満屋)」を建ててどツボに嵌り、一度潰れかけた「ことでん」ですが、驚いたことにICカード"IruCa"を導入していました。
「ことでん」は大手私鉄から中古の電車を譲り受けた車両が数多く走っています。上写真は元京浜急行1000系。
1時間ほど電車に揺られ、琴平に着いた時には雨が本降りに。琴電琴平駅の背後には高灯篭が。
こんぴらさん門前の金倉川に架かっている鞘橋。銅葺唐破風の屋根がかかるアーチ式の木造橋で、鞘橋の名は刀の鞘の様に反った形から来ているとのこと。洪水で何度も架け替えられ、現在の橋は1869年(明治2年)に阿波国鞘橋講中により寄進されたもの。普段は閉鎖され、例大祭の時のみ開放されます。
「こんぴらさん」こと金刀比羅宮(ことひらぐう)には2度来たことがありますが、本宮が奥深いところにあるので何だかんだといつも時間切れになってしまい、参道をうろうろするだけに終わっていました。よって今回が実質的に初めての参詣です。
早朝かつ雨とあって参道前の商店街も人影はまばら。いつもだと呼び込みがうるさくて難儀なんですが。
こんぴら名物の「石段かご」も暇そうです。こんぴらさんの石段は登り口から本宮までは785段、奥社まで登ると1368段。
一之坂鳥居まで来てもまだまだ境外。左にある狛犬は備前焼。
「こんぴらふねふね・・・」がエンドレスで流れる中ようやく大門に到着しましたが、氷雨がとうとう雪に変わってしまいました。なお件の「石段かご」が運んでくれるのはここまで。本宮まで載せていってくれるわけではありません。
大門の脇には鼓楼。
大門を抜けて旭社へ向けてと伸びる桜馬場。城郭だと「なんとか曲輪」とか「なんとか丸」とか名づけそうなスペースですね。
「こんぴらさん」に参拝を望みながらも叶わない人々が飼い犬を代わりに参拝させる「こんぴら狗」。袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。銅像とこんぴらオヒサルとでは狗のデザインが全く異なりますが、こんぴらオヒサル狗は「ひこにゃん」に相通じるところがあるとぼけた表情が現代的で、銅像狗はちょっと昭和っぽいかなぁ・・・
旭社に着いた頃には大雪に。とても温暖な瀬戸内とは思えない悪天候・・・ 旭社は1837年に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったとか。
本宮にたどり着いた頃には雪が降り積もって足元はぐちゃぐちゃに。こんな悪天候でも朝っぱらから続々と参詣者がやってくるのはさすがこんぴらさん。本宮は桧皮葺の大社関棟造りで、御祭神は大物主神と崇徳天皇。
本宮の左に建つ絵馬殿。こんぴらさんは海の守り神として信仰されており、現在も漁師、船員など海事関係者の崇敬を集め、絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が掲げられている他、安全祈願をした漁船、タンカーの写真なども飾られています。他の場所でこんぴらさんに奉納された巨大スクリューなんかも見かけました。
下に見える白いボートは堀江謙一氏のマーメード号。
足跡がはっきり判るくらい雪が積もってますがな・・・(´・ω・`)ショボーン
(続く)
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