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2008.09.02

阿波&讃岐紀行(1)

先日、今年の天皇杯で四国・丸亀に行く可能性があることを紹介したばかりですが、どうも今回の丸亀行きは個人的に今一つ気乗りがしないのが正直なところ。

それはその前の週に札幌へ行き、さらに月末には大阪行きが控えているという、コスト的に「前門の虎、後門の狼」状態だというのも理由に挙げられんこともないんですが、それ以上に「丸亀は昨オフに行ったばかり」なんですわ。

っちゅーことで、何かの参考になればと思い、半年以上も前の話ながらその時の模様を逐次紹介しておきます。

もちろんこの情報が全て何の役にも立たないという可能性もあるんですが(´・ω・`)ショボーン

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といっても真っ直ぐ丸亀どころか香川県にすら入ったわけではないので、しばしお待ちを。

 暇を見つけては全国あちこち飛び回っていますが、徳島に来るのは十数年ぶり。個人的にこれほど長い間ご無沙汰にしている県は他にありません。

・J1チームがない(浦和J2時代には徳島ヴォルティスもなかった)
・ローカル私鉄がない
・著名な温泉がない
・著名な史跡がない

等々疎遠になる理由がいくつか思い当たりますが、実に久々に徳島に足を運んでみました。

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 夜行バスで徳島着。東京から徳島へは鉄道で行きにくい上にJALしか飛んでいないためか、飛行機の価格設定が強気なのが困り者。

Awa_2008_2

 徳島は地方都市には珍しく駅前が賑わっていますが、さすがに早朝で人影はまばら。歩道橋から眉山(07年の映画にもなりました)が見えますが、山頂からの景色が良いだけで特段見るべきものはなさそうなので、今回は割愛。

Awa_2008_3

 徳島城址は徳島の駅裏にあります。跨線橋からディーゼルカーの車庫が一望。国鉄時代からほとんど変化がありません。

Awa_2008_4

 徳島城址は残念ながら現存の建造物は皆無。徳島は大坂の役以降一貫して蜂須賀家が25万石の大封をもって治めていましたのでかなりの規模の城址が残っていそうなものですが、明治時代に徳島城が廃城となった後に鷲の門を除いて全建造物が破却され、唯一残った鷲の門も1945年の徳島大空襲によって焼失。現在の鷲の門は1989年9月27日に徳島市制100周年を記念して復元されたものです。

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下乗橋を渡って大手門へ。石垣の上には当然ながら本来は櫓が建っていました。

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御殿跡には現在「徳島市立博物館」が建っています。博物館の背後にある城山へ。

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東二の丸跡。3層3階の天守が建っていましたが、明治に破却されて今は何も残っていません。天守台はもともとなかったようです。また本丸ではなく二の丸に天守が建てられた理由は不明。

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本丸の周囲を固める高石垣。武骨で古風な石垣です。

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本丸にも特段何もありませんので西二の丸・三の丸を伝ってそそくさと下山。

Awa_2008_10

西三の丸は現在上水道場になっていました。城址の活用法としては珍しい例かも。

(続く)

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(阿波&讃岐紀行(1)から続く) 地元の方には毀誉褒貶があるかと思いますが、徳島 [続きを読む]

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