新宿歴史博物館@四谷
本来なら本日のACL準決勝第1戦へ向けての展望なんぞを書かないといけないのですが、千葉戦の出来及びその後のクラブの様子等々を見るにつけちょっと心が折れてしまったので、消防博物館に続く四谷の博物館巡りでお茶を濁します。
区で一つの博物館をぶち上げてしまうところに東京の懐の深さを感じさせますが、平成元年開館というところを見るとバブルの勢いに任せて作っちまったような気がしないでも。
博物館といっても地下一階の1フロアを展示スペースとしただけのささやかなものですが(その割には建物がでかい・・・)、入場料300円で1時間以上もしっかり楽しめました。
内藤新宿のジオラマ。中央に縦に伸びる通りは新宿通り。
江戸時代、甲州街道の第一の宿場「高井戸」までかなり距離があったため、元禄年間になって宿場が開設されたのが現在の新宿の基礎。内藤家の中屋敷の敷地が一部利用されたので「内藤新宿」と呼ばれていました。
青梅街道を分けるのが「追分」。現在の新宿三丁目交差点付近。
新宿が劇的に発展するのは関東大震災以降東京の住宅地が郊外へ広がり、新宿が鉄道ターミナルとして重要な地位を占めるに至ってから。上写真は都電。
「文化住宅」は関西では単なる2階建てアパートを指す言葉(しかも死語)だと記憶していますが、東京では「小規模な和風住宅の玄関脇に洋風の応接を付けた」住宅を指すそうです。こんな趣味の悪そうな家はいらんわぁ・・・
写真撮影できるところが限定されているのであれこれ紹介できないのが残念ですが、概して昭和初期の新宿の様子を伝えるコーナーが面白かったですね。
伊勢丹の横に「ほてい屋」というデパートが建っていたとか、今のアルタのところに「二幸」というデパートがあったとか、伊勢丹の西側は都電の車庫だったとか。また柏木とか角筈とか、かつて相当の区域を示す地名が消えているのには驚きました。
そんな中で武蔵野座など映画館の場所は昔からほぼ同じ。
四谷界隈は都心には珍しく古い住宅が目立ち、なんと銭湯もあります。上写真は蓬莱湯。東京の銭湯は概して熱めで苦手なのですが、ここはさほどでもなく、ゆっくり浸かれました。
重油高でどこの銭湯も経営難。いつ突然なくなるか判らないので、散歩ついでの銭湯入浴もできるだけまめに記録しておくつもりです。
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