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2008.12.16

鳥取紀行(1)

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ANAしか飛んでいない鳥取は飛行機代がバカ高なので、夜行バスで鳥取入り。鳥取城までは鳥取駅から歩いて20分ほど。

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鳥取藩池田氏32万5千石の居城だった鳥取城は標高263mの久松山頂の山上の丸を中心とした山城的な部分と、山麓の天球丸、二の丸、三の丸、右膳の丸などからなる平山城的な部分が組み合わさった構造になっています。

上写真の山が久松山で、その麓に小さく見えるのが鳥取城の象徴だった御三階櫓の石垣。

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大手門に相当する中の御門跡から城址に突入。右手に見えるのは鳥取県随一の進学校として知られる鳥取西高。

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太鼓御門跡。奥に二の丸、天球丸の石垣が見えます。

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二の丸を固める高石垣。鳥取城の本丸は山頂部にあるものの、江戸期には藩主の館が置かれた二の丸及び三の丸(=鳥取西高あたり)が事実上の城の中心だった模様。

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御三階櫓跡。二の丸の南西隅、市街地に面して立っていた3重の隅櫓で、本丸にあった天守が焼失してからは鳥取城を象徴する建物となっていました。

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御三階櫓から見た鳥取市街。真下にあるのはフランスルネッサンス様式の西洋館「仁風館」ですが、あいにく工事中。

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御三階櫓、走櫓とともに二の丸を固めていた菱櫓跡。

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菱櫓跡から見た天球丸。石垣修復工事の真っ最中で中には入れず。

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二の丸から山頂部へは厳しい登り。石段の整備状況も実に微妙・・・

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本丸の一角に天守台が残っています。天守は1692年(元禄5年)に落雷で焼失し、以後再建されず。

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江戸期には既に城としての機能を失っていたと思われる本丸ですが、その眺望は見事なもの。眼下に鳥取市街の全容、それを貫く千代川、そして日本海を前に横たわる鳥取砂丘がはっきりと見えました。

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