南部路(1)
何の脈絡もなく、唐突に旅行シリーズが始まります。現実逃避ともいいます。
夜行バスで八戸到着。陽が昇るにつれて気温が急上昇し、残暑を感じさせるものがありましたが、バスが着いた早朝は長袖シャツだけでは寒いくらい。学生はともかく、ある程度年を召した方は大抵一枚羽織っていました。
八戸の繁華街である三日町から西へ歩いて30分くらいで根城(ねじょう)址へ。八戸市博物館前には根城を築いた南部師行の銅像が建っています。
南部師行は南北朝時代、南朝に属し、1334年(建武元年)に根城を築城。根城の名は「南朝の根本となる城」という願いから来たものと言われています。
南部氏といえば江戸期は現在の岩手県の大半と青森県の一部(八戸周辺)という広大な領地を治めていた大名として有名ですが、根城を本拠とする八戸南部氏と、三戸に本拠を置く三戸南部氏の2系統があった模様。時代が下るに連れて三戸南部氏が有力になって桃山期には宗家の地位を固め、江戸期に盛岡藩が成立した後、八戸南部氏は遠野に転封、根城は廃城という歴史を辿っているようです。
根城は馬淵川南岸の河岸段丘を利用して建てられており、東から東善寺・中館・本丸と曲輪が連なる形式をとっています。なお国道を挟んだ南側にも2つ曲輪があったそうですが、宅地化が進んでその様子は現地では判然としませんでした。
博物館傍にある八戸城東門。八戸城は根城とは全く別の城郭で、現在の本八戸駅近くにあったもの。1859年(安政8年)に台風で倒れ、八戸藩家老木幡氏に払い下げられたのを機に根城に移築されたとのこと。ここから「史跡 根城の広場」に入ります。
根城東端にあたる東善寺館を囲む空堀
城内には籠城戦になっても食料に困らないように「実のなる木」が植えられていたとの案内板がありましたが、園内はしだれ桜だらけのような・・・
中館との境をなる空堀。左に四阿(あずまや)が見えます。
中館と本丸の間に架かる木橋。本来は手すりはありません。
当然ながら本丸も深い空堀に囲まれています。遠くの住宅を見ると根城が一段高いところに建っているのが判りやすいかと。
本丸には東口、西口、北口と3つ入口がありましたが、東口のみ開放。
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