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2009.01.20

紀州路(3)~和歌山城

紀州路(2)から続く)

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 徳川将軍15代の中の一番人気といえば、やはり8代将軍吉宗でしょうか。なにせ恐れ多くも将軍様にも関わらずパチスロになってしまうくらいの大人気。徳川中興の祖とはいえ政治実績は家康に遠く及ばないのですが、家康は時代のさきがけとなった信長やその模倣者である秀吉と比べるといかにも地味で、おまけにケチで陰険という定評が付け加わっているために一般受けしないきらいがあります。

 一方吉宗はなんてったって「暴れん坊将軍」ですからなぁ・・・ そもそも吉宗は何時頃から人気があったのか、それを調べてみるのも面白そうですが、それはさておきラーメン屋を2軒巡った後は吉宗ゆかりの和歌山城へ行って来ました。温暖な和歌山としては非常に珍しいことですが、雪が降りしきる悪天候下でのお城めぐりです。

 和歌山城は豊臣秀長(秀吉の弟)が1585年に紀州入りし、虎伏山を城地に選定して縄張りを行ったのがその始まり。その後桑山氏、浅野氏を経て1619年に徳川家康の十男・頼宣が紀州藩55万5千石で入城(=御三家の紀州徳川家が成立)し、城の大改修と城下町の拡張を実施しました。

 1846年に落雷で大小天守など御殿を除く本丸の主要建造物が全焼したものの1850年大小天守等が再建され、これらが明治の世になっても長らく残っていたのですが、1945年惜しくも米軍の空襲で焼失。現在の天守群は1958年に鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。

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 一の橋を渡って大手門から入城。もっとも実際は現存している城郭の外に広大な三の丸が広がっていたので「入城」というのは語弊があるかもしれませんが。

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 伏虎像。和歌山城の別名「虎伏城」にちなんで建てられたもので、阪神ファンが寄贈したものではありません。

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 搦め手に建つ岡口門。もともとはこちらが大手門でしたが、浅野時代の後期に大手門から搦手門として修復されました。和歌山城に残された数少ない現存の櫓門です。

 表坂から本丸に登ります。和歌山城の本丸は3層大天守と2層小天守、2基の隅櫓を多聞櫓で結んだ連立式天守群と付属する天守曲輪と、本の丸御殿の曲輪の2つの独立した曲輪から成っています。

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 巨大な石落としは、まるでロケットの噴射口のよう。

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 二の櫓と二の門

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 乾櫓

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 大小の天守が連立

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 天守に登ると櫓・門と天守が菱形に連結されているのがよく判ります。

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 二の丸は公園として開放されていて今は何もありませんが、御橋廊下が06年に復元されました。御橋廊下は藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と,紅葉渓庭園のある西の丸とを行き来する橋で、藩主とそのお付の人だけしか行き来できない奥向きの橋。

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 滑り止めのため小さな段差がついていて、これが足の裏に食い込んで結構痛い・・・

 雪の日で訪れる人もわずかなのに、橋の出入り口に係員をそれぞれ配置。作ったはいいが維持にものすごく金が掛かってしまってかなり微妙・・・

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 追廻門(現存)。門外の「扇之芝」に騎射のための追廻馬場があったのでそう呼ばれていたとのこと。朱塗りなので東大の赤門みたいですね。

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(紀州路(3)から続く)  飲み屋街に隣接したところに建っているせいか、営業は夜 [続きを読む]

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