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2009.01.08

鳥取紀行(6)

鳥取紀行(5)から続く)

翌朝は鳥取県を少し飛び出して、隣の島根県の月山冨田城を訪れてみました。

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月山冨田城は山陰本線安来駅からバスでさらに20分ほど山のほうに入った随分不便なところにあります。安来はもちろん「安来節」で有名。改築された駅舎にはいたるところに「どじょうすくい」の人形が。

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月山冨田城は有力な戦国大名だった尼子氏の本拠。結果的に後発の毛利氏との抗争に敗れてしまったので全国的な知名度に欠けますが、もともと尼子氏は山陰地方を広く領有した有力大名。広島の弱小豪族の一つに過ぎなかった毛利氏は山口の大内氏と山陰の尼子氏との板ばさみにあって苦労しました。

しかし、毛利元就の謀略は冴え渡り、尼子の内紛を誘って弱体化に成功。月山冨田城の支城を次々と陥落させたのち、最後は月山冨田城の攻略にも成功しました。

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月山冨田城は大雑把にいえば山麓部と山頂部に分かれます。山麓部は千畳平・太鼓の壇・花の壇等の小区画を経て山中御殿に至ります。上写真は「花の壇」で発掘調査をもとに主屋と侍所が復元されています。正面に見える山が「月山」。

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太鼓の壇に立つ山中鹿之助像。尼子氏再興へ向けて獅子奮迅した武将として昔は有名だったようですが、今は戦国時代にそこそこ詳しい人でないと知らないでしょうな。

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殿様の居住地が置かれた「山中御殿」。いうまでもなく城の最重要拠点で、山頂部は詰め城という位置づけ。ここで諸方面からの昇り口が全て合流します。山中御殿まではだらだらとした登りですが、ここから本丸へ向けて月山の急坂を一気に登ります。

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昨日鳥取城を登った時のダメージが少々残っているのか、「七曲り」はかなりきつく感じました。でも地元と思しき方々は朝の軽い運動のようなノリでホイホイと上り下りしていくんですなぁ・・・orz

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二の丸から。細長い谷の奥に城が築かれていることが良く判ります。立地的には越前の一乗谷に似ているかも。上写真では山に遮られていますが、遠く中海が見えます。

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本丸は二の丸と堀切で仕切られていて眺望は良くありません。勝日高守神社はいうまでもなく城の守護神。

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(鳥取紀行(6)から続く)  月山冨田城を廻ったあとは鳥取県に戻って米子城へ。米 [続きを読む]

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