伊予路(4)
(伊予路(3)から続く)
松山城を東雲口から降って「坂の上の雲ミュージアム」へ行ってきました。いうまでもなく松山出身の正岡子規及び秋山兄弟を主人公とする司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」を記念したものです。
パネル展示が主で、しかも正岡子規と秋山好古、真之の松山時代及び東京で勉学中の時期を中心に扱っており、日露戦争の話はほんのちょっとだけ。従って「坂の上の雲」を読んでいないと面白くともなんともないかも。どちらかというと松山市民向けのミュージアムで、観光的にはちょっとがっかり。安藤忠雄の手がけた斬新といえば斬新、遊びが多いというか遊びだらけの建造物を楽しみに行くほうが正しいあり方かもしれません。
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観光名所の松山城とは対照的に地元民にしか知られていないと思いますが、松山にはもう一つ城跡があります。といっても道後温泉の最寄なので全く知名度がないわけではないでしょうが。
湯築城は松山城よりもはるかに古く、中世の伊予に勢力を誇っていた河野氏の本拠。堀の内側には上級家臣の屋敷が立ち並んでいたとのこと。
航空写真で見ると外堀と内堀がきれいに2重の同心円を描いているのが良く判ります。しかし豊臣秀吉の四国侵攻の際、小早川隆景に包囲されてあえなく落城。
中世城郭ゆえでしょうか、武家屋敷の中では武士や僧侶が集まって連歌を楽しんでいる模様が再現されていました。右端の赤い衣装が宗匠で、いわば連歌の師匠。
僧侶が長考に沈んでいる様子ですが、なんかレッズフェスタの阿部選手風でもあり・・・
伊予は侍の武ばった姿よりも、こんなのんびりした姿が似合います。
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