続伊予路(2)~今治城
(続伊予路(1)から続く)
今治城には5重6階の立派な天守が建っていますが、これは形状・位置とも往時の天守とは異なる「パチモノ」。極論すれば観光タワーといって差し支えないものですが、最近江戸時代の史実にできるだけ基づき、鉄御門(くろがねごもん)が復元されたと聞いて訪れてみました。
今治城は1602年(慶長7年)、藤堂高虎によって築城開始され1604年(慶長9年)に完成。城内には藤堂高虎の像が飾られています。
天守は1604年(慶長9年)に竣工。しかし、1610年ごろに丹波亀山城に移されたと伝えられているのでわずか約6年間ほどしか存在していなかった勘定になります。
それはともかく、その丹波亀山城は明治初年に撮影された古写真や平面図が残され、おおよその形状がわかっています(=破風のほとんどない層塔式)が、再建された今治城天守はその姿と大きく異なり、大きな入母屋破風が目立つ望楼式となっています。
しかも天守が建っていた場所は本丸中央と推定されているのに、復元天守はなぜか北隅櫓のあった場所に建設。
と、あれこれ難癖のつく今治城ですが、天守に登ると海がすぐ傍にあるだけに眺望は格別。尾道から今治へと続く瀬戸大橋の姿も。
城址には吹揚神社が鎮座。今治市内に鎮座していた神明宮、蔵敷八幡宮、巌島神社、夷宮の四宮を廃藩の際に城内に合祀したもので、さほど古い神社ではありません。しかも残念なことにその後戦災や放火に遭い、現在の社殿は昭和58年に再建されたものとのこと。「吹揚」は今治城の別名。
・1990年(平成2年)に復元された山里櫓。
・今治城築城・開町400年祭の記念事業として木造で再建され、2007年9月に完成した鉄御門。枡形を構成する多門櫓、塀なども併せて復元されました。
・1985年に復元された御金櫓。なにかのイベント毎にちょこちょこ復元を重ねているようですが、返す返すも肝心の天守がねぇ・・・
| 固定リンク