伊予路(8)
(伊予路(7)から続く)
2004年に在りし日の天守を古写真や天守雛形(模型)をもとに古来の技法で忠実に再現し、「平成の城普請」として一躍有名になった大洲城にも足を運んでみました。
大洲は肱川流域の盆地の街で、街のど真ん中を肱川が流れています。川で分断された街は松江やソウルと同じようにそれぞれ肱北・肱南と呼ばれていますが、両市とは違って北が新市街で、南が旧市街に当たります。大洲駅があるのは肱北で、大きな地元スーパーも肱北に建っていますが、大洲城を初めとする観光スポットは全て肱南にあります。
肱南へ向かう橋の上からも大洲城がよく見えます。というか、大洲城が肱川を天然の堀として利用しているのが一目瞭然です。川のない南側には2重の堀を構えていたようですが、現在は悉く埋め立てられてしまいました。
市民会館の脇、肱川堤防上という非常に目立ちにくいところに現存の苧綿櫓があります。天守へと先を急ぐと見落としてしまうかもしれません。
本丸への道中は案内板が充実。しかも幅広に整備されているので親切かつラクチンではありますが、城巡りという感じがしないのもまた事実。
櫓を2基従えた4層4階の天守。先に述べたように天守は最近復元されたものですが、2つの櫓はともに現存。左が高欄櫓で、右が台所櫓。
天守内には築城の様子を模したジオラマも。
1~2階が吹き抜けになっているのが大洲城の特徴。
城外、といってもかつての三の丸ですが、そこにぽつんと南隅櫓が残っています。重要文化財なのですが、漆喰が剥がれたままで誠に残念。
この隅櫓、実は高校の運動場に面しています。啓太級のミドルシュートが隅櫓を直撃しないよう、祈るばかりです。
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