広島逍遥(1)~福山城
広島遠征が近づいて参りましたので、参考のために唐突に「広島シリーズ」を掲げておきます。もっともナビスコは平日、しかも多くの会社では期末直前とあって参戦者は少ないようですが・・・
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駅から徒歩0分という全国屈指の利便性(?)を誇る福山城。駅北口を出ると、眼前に高石垣!
山陽新幹線からも福山駅通過時にはっきりと見えるのでご存知の方も多いかもしれません。もっとも広島へは航空機で行く方も少なくないですし、同じく山陽新幹線から見える姫路城に知名度において遠く及ばないので、何度も広島に行ったことがあっても福山城を知らない方もいらっしゃるでしょうが。
徳川家康の従兄弟である水野勝成 が毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑えとして備後国東南部と備中国西南部の計10万石を与えられ、築城開始から3年近くの歳月を要した元和8年(1622年)に福山城は完成。福山城は10万石の城としては破格の巨城。
水野氏が5代藩主水野勝岑の早世により無嗣除封となった後、紆余曲折を経て阿部氏が福山へ入府。阿部氏はペリー来航時に老中を務めた阿部正弘を輩出したことで知られています。当然ながら幕末には新政府軍の標的になってしまいましたが、さしたる抵抗もせずにあっさり恭順。
天守・櫓等いくつかの建築物がその後も残っていたようですが、第二次世界大戦中の福山大空襲で天守を始め大きな被害を受け、往時のまま残っているのはわずかに伏見櫓と筋違御門だけとなっています。
5重5階(地下1階)の巨大城郭。箱を積み上げたような層塔式天守の中でも最新鋭のもの。福山城の最大の特徴は防御上の弱点とされていた天守北側の壁面に厚さ3ミリメートル程度の鉄板が張られていたことです。天守復元にあたってそれが全く考慮されていないため「パチもの」の謗りは免れません。
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