広島2009弐-(1):鞆の浦(上)
羽田空港 6:55 (ANA671 747-400) 8:15 広島空港
広島空港 8:45 (中国バス) 9:42 福山
福山 10:15 (鞆鉄バス) 10:45 鞆の浦
アウェー広島戦の前に、景勝地であり、かつ昔の港の風景が良く残っていることで知られる鞆の浦(とものうら)に行って来ました。鞆の浦は広島県最東端の福山市から瀬戸内海へ突き出た沼隈半島南端にある港町です。
鞆の浦は古代より「潮待ちの港」として知られていたところで、江戸期までは瀬戸内海を代表する港町として栄えていました。室町幕府15代将軍足利義昭が織田信長により京都を追放された後に鞆に居を構えていたり、江戸期には朝鮮通信使の寄航地にも度々指定されていたりします。ところが航法技術の進歩で鞆の浦に寄航する必要がなくなると、山陽道から遠く外れた山がちな半島の先端という地理的悪条件も相まって鞆の浦は劇的に衰退したようです。
ただ近代以降中途半端に発展しなかったのが幸いして、昔ながらの姿を留めている全国的に珍しい港町として知られるようになりました(江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみとのこと)。もちろん周囲の景観も昔そのまま。
なお鞆の浦は宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」の着想を得たところと言われていますが、鞆の浦が舞台そのものではないせいか、「ポニョ」に絡めて鞆の浦を売り出す姿勢は半身っぽい感じでした。
手前に見える白い蔵は「いろは丸展示館」。龍馬や海援隊が搭乗していた「いろは丸(=伊予大洲藩から亀山社中がレンタル)」が鞆の浦沖で紀州藩の艦船と衝突・沈没。鞆の浦はその後龍馬らと紀州藩との損害賠償交渉の舞台となりました。
その件は「龍馬がゆく」でだらだら書かれていたけれども甚だ退屈で読み飛ばしたからなぁ・・・
鞆の浦南東端の高台に建つ福禅寺。創建は平安時代の950年頃と伝えられ、 現在の本堂と隣接する客殿(対潮楼)は江戸時代の1690年頃に建立。江戸時代を通じて朝鮮通信使のための迎賓館として使用されたとのこと。
1711年に従事官の李邦彦が客殿からの眺望を「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)」と賞賛したとのこと。でも瀬戸内海なら何処にもあるような風景で外交上のリップサービスじゃないかと思うんですが・・・
弁天堂が建つ弁天島。そしてその背後にある仙酔島。共に鞆の浦と一対を成して景観美を形成しています。 仙酔島は海水浴・散策・キャンプを楽しむ方々が多く訪れる他、宿泊施設もあり、福禅寺前から頻繁に渡船が出ています。
大可島城跡に建つ円福寺。港の入り口を固めるような場所に建っていますが、それもそのはずでもともとは島。港の奥に鞆城が築かれた際に埋め立てられて陸続きになったとのこと。
鞆の浦は港からちょっと外れるとすぐに高台になってしまう山がちなところですが、その高台の至るところに寺、寺、寺! この辺りがかつての繁栄の名残なのかも・・・
港町で、坂だらけで、お寺が多くて、そこら中に猫がいるといったあたりは尾道と似ています。もちろん町の規模は全然違いますが、どちらも斜陽の町であるあたりもそっくり・・・
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