大分2009Ⅱ-(3)小倉散策
(大分2009Ⅱ-(2)から続く)
小倉といえば「小倉祇園太鼓」。といっても実物はもちろん、その映像すら見た記憶が全然ないんですが・・・
小倉駅前に祇園太鼓の銅像が建てられているだけでなく、駅名板にも祇園太鼓のイラストが。
狙っていったわけではなかったのですが、小倉を訪れたこの日は祇園祭の真っ最中。出番を待つばかりの山車が街のあちこちに。太鼓がついている山車とついていない山車がありますが、悪戯防止のために太鼓を外しているのかも。
「小倉祇園太鼓保存振興会・大山」によると、明治の中頃から小倉市街に路面電車が走るようになり、架線で背の高い飾り山車が通れなくなったことなどから山車の姿が変わり、太鼓は山車の前後に乗せるようになった模様。さらに近年は小倉中心部の人口減により山車を運行する町内も減少したり、据え太鼓のチームが増えたりして、祭りのスタイルも年々変化している様子。そういえば駅前の銅像も駅名板のイラストも据え太鼓で山車ではありませんね。
炎天下の中、小倉城まで足を延ばして見ました。今の小倉城は1959年に鉄筋コンクリート構造で建てられたものですが、残念ながらもともとの小倉城は箱を積み上げたような「層塔型」だったのに対し、復元小倉城には派手な大入母屋破風や千鳥破風・唐破風を付けてしまったので限りなくパチモノ。最上層がその下層よりも外に大きく張り出している「唐造り」である点だけが往時の小倉城らしさを留めていますが。
小倉城は第二次長州征伐の舞台。小倉藩は長州藩の攻勢の前に小倉城放棄を決意し、城を焼却して撤収という幕末の「幕軍トホホ伝説」の中でも屈指のエピソードを残しています。もっとも天守自体はその約30年前に焼失して、その後再建されませんでしたから、小倉城炎上はビジュアル的には少々寂しかったかも。
小倉城内が祇園太鼓競演会の舞台。紅白の幕内が有料観覧席。競演会が始まるまではまだまだ時間があるようで周囲は閑散。無理やりアゲにかかっているミニFM(?)の生音声だけが周辺に響き渡っていました。
結果としては大分の砂場での玉蹴り大会なんぞ見るよりもこちらを見たほうが良かったでしょうが、この時はまさか14連敗中の大分に敗れるとは思いもよらず・・・
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