広島逍遥(5)~岩国城
(広島逍遥(4)から続く)
3月に紹介したネタの続きです。再び広島遠征が近づいて来たので、そのマインドアップを兼ねて。
翌日は広島県からちょっとはみ出して山口県の岩国へ。
岩国出身の宇野千代を記念した「おはんバス」が市内をウロウロ。どちらかというと「島耕作バス」を見たかったのですが・・・
前日降った雪が残る錦帯橋。橋の形状があれなんで、転ばないように気をつけながら上り下り。
ロープウェーで一気に岩国城へ。
岩国城は「日本百名城」に選出されていますが甚だ疑問。天守の形状が往時と異なっているどころか、もともと天守が建っていた場所と違うところに復元した天守を「百名城」に入れるとは笑止千万だと思いますがねぇ・・・史実とは何の関係もない清洲城を百名城にカウントするとの大差はないような・・・
現天守の裏に残る旧天守台。なんとなく恨めしげ。
まぁ天守があったこと自体は事実なので現天守にあんまり目くじらを立てるのもナンですが、天守があったといってもその期間はわずか7年。1615年(元和元年)に幕府の一国一城令により破却を余儀なくされました。
もともと岩国は城下町といっても本家長州藩からは独立した藩として認められていないという非常に微妙な位置づけ。
岩国城の麓には岩国領主第3代吉川広嘉(=錦帯橋を架橋)の像が飾られていますが、岩国がそんな微妙な位置づけになったのは関が原合戦前後における初代吉川広家の立ち振る舞いによるのは明白なんだよなぁ・・・
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