広島2009弐-(6):旧海軍兵学校(下)
(広島2009弐-(5)から続く)
大講堂。鉄骨煉瓦石造で1917年(大正6年)に兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として建築。米軍占領時には教会として利用されていたとのこと。
近々式典があるとのことで、椅子がずらっと並べられていました。
大講堂は音響効果が抜群でどんな人でも歌が上手く聞こえるとのこと。「海ゆかば」を朗々と歌って実証してみせるガイド(笑)
壇上とまでは行きませんが、その手前の階段に登らせてもらってしばし撮影タイム。
幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)。通称赤レンガ。1893年(明治26年)に海軍兵学校生徒館としてその生活、教育のため建築。来年NHKで放映されるドラマ「坂の上の雲」のロケでも利用されたそうです。
もっとも後に日露戦争で大活躍した作戦参謀秋山真之が海軍兵学校で学んでいた頃(1886~1890年)にはまだ「赤レンガ」はなかったので、「放映されたら電凸してやる!」と息巻くガイド(笑)
レンガはイギリスからの輸入物。「日本産のレンガとは肌のすべが違うのだ!」と、実際に庁舎のレンガと、近くにある日本産のレンガ造りの小屋とを見学者に触らせてながら説得力のある説明を弄するのは良いものの、一歩間違えるとセクハラに転落しかねないガイド(笑)
保存状態が良いというか、管理が行き届いているというか、自然光で光り輝いているように見えるレンガってそうそうありません。これに比べると「東京駅のレンガは汚い!!!」とガイドが声を荒げるのは無理もありません。お見合い写真のバックになってもよさげな感じ。
教育参考館。ギリシャ神殿風の鉄筋コンクリート造の2階建てで、兵学校卒業生の積立金及び一般企業等の寄付をもって、昭和11年(1936)に建築。ここで40分ほど見学。
旧海軍以来の伝統を継いでいるので、日露戦争旅順港閉塞作戦で戦死した軍神広瀬武夫中佐の資料や、初期の潜水艦開発中の事故で殉職した佐久間勉大尉の遺書、さらに特攻隊員の遺書等々見所が豊富。2Fだけだと思ってのんびり回っていたら1Fにも展示室があり、40分では全然時間が足りませんでした。残念。
教育参考館の傍にあった特殊潜航艇。
同じく教育資料館傍にあった特攻兵器「海竜」。こちらは幸いにも実戦投入されず。
遠くに戦艦陸奥の主砲(主砲第4砲塔)が見えました。戦時中(1943年)に謎の爆沈を遂げた陸奥の主砲を引き上げて展示しているのかと思ったのですが、その前(1936年)の改装時に取り外された主砲を教材として展示してある模様。
構内に残る戦前からの建造物でも「水交館」「高松宮記念館(旧高松宮邸)」「理化学講堂」といった辺りは見学できず。見学時間が約2時間とゆったりしている割には、実際に見学できるところが少なかったのは意外でしたが、無料でガイドの漫談が堪能できたので良しとしましょう。
離れ小島で、広島からでも半日がかりなのが困り者ですが、機会があればまた来ようと思います。
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