伊勢路(3)~松坂城
(伊勢路(2)から続く)
伊賀から一転して松阪へ。三重県内を三角形の2辺を回るように移動しております(苦笑)。
松坂城(明治になって松坂が松阪と表記されるようになった模様)は伊勢国12万3千石を与えられた蒲生氏郷が1588年(天正16年) に飯高郡矢川庄の四五百森(よいほのもり)に築城したのが始まり。
氏郷が会津に転封後、藩主が短期間に入れ替わり、1615年の松坂藩廃藩後は御三家紀州藩の南伊勢国内17万9千石を治める城代が置かれていました。冒頭の写真は表門です。
蒲生氏郷は信長及び秀吉にその才能を評価されながらも関ヶ原に至る前に急死してしまったので、知名度がイマイチな嫌いがありますが、その築城技術はなかなかのもの。上写真は月見櫓。石垣の緩いカーブが実に秀麗。
1644年(正保元年)に天守が台風のため倒壊したとされ、今は天守台が残るのみ。櫓等の建築物も残っておらず、見所は石垣だけですが、城址の規模がそこそこあるだけに石垣だけでも十二分に楽しめます。
中御門
裏門
城内には「本居宣長旧宅」が移築保存されています。本居宣長は国文学上の超有名人ですが、残念ながら「本居宣長 → もののあはれ」なんてのを必要に迫られて丸暗記しただけなので、特にどうという感想を持ちようもなく・・・
松坂城の石垣以外の見所として「御城番屋敷」があります。紀州藩士20人が松坂御城番職に就いた際、藩士および家族の住居として新築された武士の組屋敷がほぼ当時のまま住居として継続して使用・維持管理されてきたもので、極めて貴重な存在。
もっとも往訪時は一部保存修復工事中で、白や青のビニールシートを被っている建物もあってちょっと残念でした。
| 固定リンク