戊辰戦地を行く(下)~白河城
(戊辰戦地を行く(上)から続く)
二本松 11:22 (1138M クハ718-28) 11:49 郡山
郡山 12:05 (2136M クハ700-1508) 12:43 白河
白河は「白河の関」に代表されるように古くから奥州の玄関口として知られ、江戸時代には東北の外様大名の抑えとして重要視されて白河藩10万石強の城下町として栄えた街ですが、来るたびに駅前がどんどん寂れている様子。
鉄道駅の中心が新幹線の止まる新白河駅に移ったのに加え、(地方都市はどこでもそうですが)道路沿いに郊外店がボコボコ出来たことによるダブルパンチで白河駅前は劇的に空洞化。原宿駅にも似た三角屋根が目立つ瀟洒な駅舎も今となってはどこか寂しげ。
白河城(白河小峰城)はそんなうらぶれた駅前商店街とは白河駅を挟んで真反対の小高い丘に建っています。駅ホームからもはっきりと白河城が見えます。
白河城は1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされ、丹羽長重が城郭の大改築に着手して1632年に完成。幕末には戊辰戦争で激しい攻防の舞台となり、1868年5月1日大半を焼失し落城。
1991年に三重櫓が、1994年に前御門が復元されて現在に至っています。
まずは二の丸から坂を登って前御門へ。
前御門を潜ると本丸御殿跡。
さらに階段を登って三重櫓へ。三重三階の層塔型。「櫓」を名乗ってはいますが、どこからどう見ても実質的な天守です。武家諸法度の公布後に建ったため「天守」を名乗れなかったのでしょう。
三重櫓の内部見学は嬉しいことに無料。三重櫓は本格的な木造復元によるもの。掛川城共々古資料に基づいて極力正確に木造で復元する先駆けとなりました。
なお復元にあたって近隣の杉の老木を利用したところ、木材には戊辰戦争当時の弾痕が数多く認められたとのこと。
わずかに残ったお堀と、その前面を固める高石垣も見所。
なお白河藩は「寛政の改革」で有名な松平定信を出したことで知られていますが、江戸期を通じて譜代大名がころころと入れ替わったようで、松平氏の治世が長かったわけでもなんでもないんですなぁ・・・
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