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2009.11.25

闘莉王、退団へ

正式に発表はなされていませんが一般紙にも「闘莉王退団」が報じられ、かねてからの噂が既定事実になってしまったようです。まだシーズンは終わっていませんが、あんまり引っ張っても時機を失ってしまいそうなので、この辺でいったん総括。

04年に水戸から加入。同年のセカンドステージ優勝を皮切りに、06年リーグ制覇、07年ACL優勝に貢献。良くも悪くも浦和の顔として働いてくれました。

闘莉王退団は短期的にはどこからどう見ても浦和にとって痛手。DFとしては国内最強。特に高さと強さは傑出しており、それゆえ闘莉王不在時には浦和は相手の長身プレーヤーに大いに悩まされました。また高さと強さはセットプレーにでもその威力を遺憾なく発揮。「内容は皆無に等しいが、闘莉王の一発で勝った」という試合が何度もありました。ビルドアップでも浦和で唯一後方から正確なロングパスを出せる(最もこの能力は昨今かなり怪しげでしたが・・・)貴重な存在でした。

さらに闘莉王は概して大人しいと言われる浦和の面々に対する「闘魂注入棒」としても大活躍。まぁ闘莉王自身のミスであっても他人に当り散らすという、「周囲が絶対にキャプテンにしたくないであろうキャプテンシー」を随所で発揮し、案の定今年の選手互選による「キャプテングループ」からは外されてしまいましたが(笑)

中盤に置くには運動量が少なすぎ、ゲルトの奇襲戦術「ボランチ闘莉王」「トップ下闘莉王」は最初こそ猛威を奮ったもののすぐに馬脚を表してしまいましたが、なにせゲルトが心中したくらいの選手。何だかんだといっても闘莉王の後釜は目先日本人プレーヤーでは勤まりそうになく(岡田代表監督が相手がどんなにショボくでも中澤&闘莉王を代えようとしないことからも明らか)、外国人で埋めるしかないと思います。この補強に失敗すれば浦和はまたしても前年比戦力ダウンで闘うことを余儀なくされるでしょう。

ただ短期的に見た闘莉王の偉大な功績はさておき、中期的に見て闘莉王の存在は浦和にとって非常に厄介なものになっていたのも事実。ギドやゲルトと蜜月関係を築いた一方、オジェックやフィンケとは衝突して再三マスコミに放言。フィンケは就任当初から「政治力を発揮する選手」として名指しこそはしませんでしたが闘莉王を警戒していた節があり(確か「語る会」でその旨の発言をしていたと記憶しています)、またしても不穏な動きを見せた闘莉王をその実力を高く評価しながらも切らざるを得なかったのだと推察します。

まぁことある毎に主力選手が監督を公然と批判し、その度に監督の首が飛ぶようなクラブに碌な監督なんてやって来ませんし、今般「泣いて馬謖を斬る」に至ったのは中期的には正しい判断でしょう。もっともオジェック開幕2連敗で解任という、浦和のどうしようもない歴史を考えると、これで一件落着とも思えないんですが・・・・

闘莉王がギドやゲルトのような「自由にやらせてくれる監督」が好きで、オジェックやフィンケといった「制約の多そうな監督」が嫌いという、単なるワガママな選手であるならある意味首尾一貫していて結構(?)なんですが、明らかに「規律型」の岡田代表監督のいうことは神妙に聞くんですなぁ、これが。どう見ても闘莉王にとっては浦和より代表が大事。自分さえ目立てば浦和はどうでもいいんですか、そうですか。実力が圧倒的なことは見ての通りなんですが、オジェック以降の闘莉王を私が率直に評価できない理由はこの一点に尽きるかと。

またとにかく怪我の多い選手で、それにも関わらず代表の試合には嬉々として帯同を志願しては浦和の監督を悩ませ、「浦和のドクターに診てもらった上に、浦和の試合でコンディション調整か!」とと激昂する赤サポ続出って、まぁこの辺は邪推の域を出ませんが。

さらに敬虔なキリスト教徒であることでも有名。クリスマスが近づくと必ずといっていいほど休暇申請。浦和は天皇杯07~09年と早期敗退が続いていることもあり、闘莉王は天皇杯準々決勝以降とうとう一度も出場せず。まぁそんなことは些細なことですが。

というわけで、愛憎半ば合い混じった感のある闘莉王退団。短い間でしたがありがとうございました。海外でのご活躍を祈っております。

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