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2009.11.17

戊辰戦地を行く(上)~二本松城

だいぶ前の話になりますが、18きっぷを利用して福島県南部に点在する城を巡ってきました。いずれも戊辰戦争の戦地として知られているところです。

浦和 5:29 (521M モハE230-1013) 6:52 宇都宮
宇都宮 6:57 (1527M クモハ211-3024) 7:47 黒磯
黒磯 7:52 (2127M クモハ701-1018) 9:01 郡山
郡山 9:30 (1133M クモハE721-19) 9:53 二本松

Nihonmatsu08_01

川口から鈍行を乗り継いで二本松まで5時間弱。東北本線は景色が単調なためか、東海道を鈍行で旅するよりも長く感じます。列車の間隔もスカスカで、しかもやっとこさやって来た電車も車両が短くて往々にして混んでいるっちゅーのも難儀なところ。

Nihonmatsu08_02

二本松駅近くからいきなり登り坂になり、登り口に大手門跡がありました。このまま坂を登れば城跡に着くと思ったのですがそうではなく、いったん丘陵を登り降りした後、城跡へはもう一度坂を登ることになります。すなわちこの丘陵は城の外壁の役割を担っているわけで、丘陵と城跡に囲まれた市街地には「郭内」という地名が残っています。

二本松城は標高345mの白旗が峰に築かれていますが、「三の丸」などがある山麓部と、本丸がある山頂部にと分かれています。別名「霞ヶ城」。

本丸のほうが圧倒的に歴史が古く、室町中期に畠山満泰によって築かれたのが始まり。その後蒲生氏郷が入府して城域を拡大。一方山麓部は江戸期になって丹羽光重が二本松藩に入って整備したもの。

Nihonmatsu08_03

公園入り口に立つ「二本松少年隊」像。会津の白虎隊と比べると甚だマイナーですが、戊辰戦争時に12歳から17歳の少年兵62名が二本松藩内各地に出陣。少年隊といっても"Wake Up Desire!"とかとは何の関係もありません。

Nihonmatsu08_04

箕輪門。戊辰戦争でいったん灰燼に帰したのですが、1982年に復元。

Nihonmatsu08_05

蒲生氏郷の手による大石垣。蒲生氏郷は伊勢松阪から会津へ移ったはずですが、その頃は二本松あたりも会津領だったんですなぁ・・・

Nihonmatsu08_06

本丸の石垣。平成の世に入ってから(1993~95年)復元されたものなので、映画のセットのようにも見えます・・・

Nihonmatsu08_07

天守台。前述のように二本松城は本丸のある山頂部のほうが歴史が古いのですが、復元の結果本丸のほうが新しく見えるのは皮肉というか何というか・・・

Nihonmatsu08_11

天守台の東西に櫓が建っていたようです。

Nihonmatsu08_09

二本松といえば「菊人形」が有名。個人的には菊人形といえば「ひらかたパーク」なんですが・・・

Nihonmatsu08_10

二本松は十万石の城下町だったのですが、江戸期には何にもなかった福島や郡山にどういうわけかぶっこ抜かれて今はただの田舎町に。もともとはそこそこの城下町だった名残は和菓子屋さんが軒を連ねているくらいでしょうか。

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(戊辰戦地を行く(上)から続く) 二本松 11:22 (1138M クハ718- [続きを読む]

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