(島根散策(5)から続く)
昨日の快晴から一転してこの日は大雨。山陰本線のダイヤは大きく乱れてしましたが、とりあえず石見銀山最寄の仁万駅まで歩を進めます。
出雲市 6:56 (5121D キハ47-3013) 8:01 仁万

さらに路線バスに乗り換えて、石見銀山への最寄アクセスポイントとなる「大森代官所跡」へ。
石見銀山は江戸幕府の直轄領で、もともとはその支配拠点として大森奉行所が置かれていたのですが、産出量減少に伴い1675年に代官所に格下げ。
仁万 8:30 (石見交通) 8:45 大森代官所跡

大森代官所から石見銀山の坑道(間歩)まではなお3km強あり、往訪時には連絡バスが出ていましたが、
・バスの本数が少なくて積み残しが多発したこと
・バスの本数を増やすと騒音や排気ガスで地元住民に迷惑をかける上に、石見銀山が世界遺産として評価されている「自然との共生」というコンセプトにそぐわないこと
といった理由から廃止になってしまいました。
もとより自家用車の乗り入れは厳しく規制。世界遺産に指定されて観光客が爆発的に増えたのはいいのですが、山間部の鉱山ゆえ観光客を受け入れるキャパがあまりなく、しかもキャパを広げられないというジレンマに陥っています。ゴールデンウィーク等いかにも観光客が集中しそうな時にはあまりお勧めできない観光地ですね。

観光用に開放されている「龍源寺間歩」の入口。江戸時代中期に開発された坑道で全長約600mのうち156mを公開。石見銀山最大の坑道はここではなく、大久保間歩なんですが、そちらは人数限定のツアーに申し込まないと見学できません。
いたるところに銀鉱脈に沿って細長く伸びる坑道が。
まぁ穴倉ばかり見ていてもすぐに飽きてしまいます、っちゅーか坑道の見学なんて何処も同じようなもので、特段世界遺産だからってどうということはありませんが、出口近くに石見銀山を絵図と共に紹介したパネルがずらっと並んでいて、これが非常に勉強になりました。
佐毘売山(さひめやま)神社。祭神は鉱山の守護神・金山彦命(かなやまひこのみこと)。鉱夫や里人からは「山神(さんじん)さん」と呼ばれていたとのこと。建立時期は複数説あるようですが、周防の守護大名大内氏が関わっている様子。
こちらは一転して鉱山跡にしては非常に近代的な作りですが、それもそのはず、ここは明治になって建てられた「清水谷製錬所」跡。
石見銀山は明治になって民間に払い下げられ、1887年に大阪の藤田組(現在のDOWAホールディングス)が採掘権を入手。1894年に清水谷精錬所を建設したところまでは良かったのですが、鉱石の品質が予想より悪く、また設備の銀の製錬能力も十分でなかったことから不採算となり、開始からわずか1年半で操業を停止。
まぁ戦国時代以前から掘りまくって、掘りつくしたと思われていた鉱山に近代技術を投入してもやっぱり無理だったというところでしょうか。

山から降りてくると、大森の街並みに。上写真は石見銀山代官所の地役人旧河島氏の居宅。

こちらは大森で最大規模を誇る豪商「熊谷家」の住宅。家業である鉱山業や酒造業の他に、代官所に納める年貢銀を秤量・検査する掛屋や幕府直轄領である石見銀山御料の支配を担う郷宿、代官所の御用達を務めて財を成したようですが、時代劇なら間違いなく代官とつるんで悪事を企む悪徳商人の役回りであるともいえ・・・

大森代官所跡。現在は石見銀山資料館として利用されています。
大森地区まで来るとぽちぽちと売店・食事処があるにはあるのですが、さほど大きなものではなく、その点も観光上の注意点ですね。
大森代官所跡 12:35 (石見交通) 12:55 大田市
大田市 12:49 (326D キハ120-311) 13:30 出雲市
山陰本線が大雨で相変らず乱れているのが幸いして、本来間に合わないはずの326Dに飛び乗り。
旅を締めくくるのもやっぱり蕎麦。出雲市駅周辺はビジネスホテルばかりが目立ち、商店街は寂れまくっています。
割子そば(750円)を注文しましたが蕎麦がイマイチ。なんかコシが乏しい上にちょっと粉っぽいような味わい。夏季は本来蕎麦の季節じゃないんで、この時期のものを食べてどうのこうのというのはいかがなものかもしれませんが・・・ おまけにつゆも甘め。かつお削り節の味はしっかり出ているのですが・・・ 薬味に海苔、ネギ、そしてちょっとだけもみじおろし。
そしてそば湯はなんと湯のみ茶碗の半分ちょっとしかありません。もみじおろしが結構辛かったくらいでしょうか、ポジティブに評価していいのは。
終始大雨でなんだかなぁな一日でした。
出雲市 15:25 (一畑バス) 15:50 出雲空港
出雲空港 16:30 (JAL1668 A300-600R) 17:50 羽田