竹田城(下)
(竹田城(中)から続く)
竹田城築城は応仁の乱より前の嘉吉年間。応仁の乱の西軍大将である山名宗全の命によるものだそうですが、その頃はまだ土塁造り。今日まで残る石垣ははるかに時代が下って、天正~慶長年間と推定されているとのこと。
もっとも竹田城は関ヶ原合戦後に最後の城主赤松広秀が徳川家康によって切腹を命じられた直後に廃城になっています。
ようやく本丸に到着。
天守台に登って南千畳方面を臨む。
竹田城は晩秋の朝、朝霧に包まれた姿が美しいそうですが、地元民じゃないとなかなかそういう機会にはめぐり合えないかと。
南二の丸。
南千畳。
竹田城から降りて振り返ってみると、山の頂にちょこんと見えるだけなんですなぁ・・・
竹田城は別名「虎臥城」なんですが、山城・平山城って大抵牛か虎かが臥せている格好のような・・・よってそこら中「虎臥城」「牛臥城」のような・・・
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