C大阪2010(5・完):葛井寺から古墳めぐり
(C大阪2010(4)から続く)
富田林 10:16 (近鉄 6301) 10:33 藤井寺
千早城を登り降りした後は、近鉄に乗って藤井寺へ出てみました。藤井寺といえば一昔前まで近鉄バッファローズの本拠地だった藤井寺球場が有名でしたが、近鉄の経営難で早々に売り払われ、その跡地は学校やマンションに姿を変えていました。
藤井寺駅から元気のない商店街を抜けた先に西国三十三箇所巡り第5番札所「葛井寺」があります。上写真は四脚門。
葛井寺は7世紀代に葛井氏の氏寺として創建されたと考えられており、国宝本尊千手観音坐像は奈良時代の作品。その後兵火に遭う等で一時衰微し、現存の建物は近世以降の再建。
南大門。
商店街のキャラクターとして売り出し中の「井真成(いのまなり)」。 阿倍仲麻呂らと共に唐に渡った遣唐使で、藤井寺出身との有力説があるようですが、阿倍仲麻呂と比べると非常にマイナーで、街を代表するキャラとしては弱すぎ・・・
キャラの弱さをカバーしようとしたのかどうかは定かでありませんが、商店街の人々が甲冑姿で何やら相談中。
これは浦和とは関係ないからな、たぶん。
ちょっと目を離すと変なものを拵えてしまうのが大阪その2。
藤井寺から古市にかけての近鉄南大阪線沿線は古墳だらけで「古市古墳群」と呼ばれています。上写真は仲哀天皇陵。もっとも今は「岡ミサンザイ古墳」というほうが一般的なんでしょうけど。
こちらは応神天皇陵(誉田御廟山古墳)。大きさでは仁徳天皇陵に次ぎ、体積では日本一とされる巨大古墳ですが、近くから見てもただの丘陵ないし小山にしか見えず、観光的には面白くも何ともありません。
古市古墳群は、仁徳天皇陵を含む百舌鳥古墳群とともに世界遺産の国内暫定リストに追加されたとのことですが、世界遺産に格上げされたところで観光業者が潤うかどうか甚だ疑問・・・
ちょっとした丘陵にしか見えませんが、これも小規模の古墳。
古墳巡りはすぐに飽きてしまったので、道明寺へ足を向けてみました。
案内板によると、道明寺は古墳造営に携わった土師氏の氏寺として7世紀代に建立されたと考えられているとのこと。また土師氏の子孫である菅原道真公ゆかりの寺(道真公のおばに当たる覚寿尼公が住んでいて、道真公が度々やって来たとか)で、道真公の別名道明から道明寺と呼ばれているとの由。
道明寺の近所には道明天満宮。「天満宮」の名で判るようにこちらも菅原道真公ゆかりで、歴史的には道明寺と全く同根。明治の神仏分離の際、道明寺天満宮と道明寺を分け、道明寺が道を隔てた隣の敷地に移転したに過ぎません。
道明寺 13:18 (近鉄 6140) 13:37 阿部野橋
天王寺 13:42 (大阪市交 1411) 14:03 新大阪
新大阪 14:27 (のぞみ364号 726-229) 17:03 東京
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