C大阪2010(3):大阪城
(C大阪2010(2)から続く)
餃子を堪能した後は、玉造口から大阪城二の丸へ。
二の丸には広大な梅林が広がっている他、豊国神社等々の見どころもあるのですが、逐一巡っていると試合に間に合わなくなるので、今回は省略。
大阪城本丸を囲む内堀の一部はなぜか空堀になっています。
桜門を経て本丸へ。桜門の名は豊臣時代に本丸正面門前に桜並木があったことに由来。戊辰戦争時にいったん焼失しましたが、1887年(明治20年)に日本陸軍大阪鎮台が再建。従って歴史は新しいのですが、外堀周辺の櫓群と同様、重要文化財の指定を受けています。
桜門を抜けた正面にある巨石「蛸石」。京橋口には「肥後石」があり、大手門にも巨石を拝するなど、大阪城には巨石ファン(そんなもんおるんか?)を唸らせる逸品がゴロゴロ。
コンクリ造りの天守。戦前(1931年竣工)に市民の寄付金で建てられたもの。戦災を免れたため建設以来既に80年近くが経過。豊臣期・徳川期の天守は30~40年くらししか持たなかったので、それらよりもはるかに長く建っている勘定になります。
三分も咲いていない桜では絵になりませんなぁ・・・(´・ω・`) ショボーン
天守に登ってみました。エレベーターには長蛇の列が出来ていたので階段で8階の展望台へ。
今となっては周囲に大阪城よりも高いビルがナンボでもあるせいか、特段驚きを感じるようなものはなく、シャチホコがなんとなくパチモノの香りをプンプンさせていたのが気になったくらい。
歩いている時には気づかなかった大阪砲兵工廠の数少ない遺産「化学分析場」が天守から見えました。
天守内は資料館になっています。上写真は「大阪夏の陣」における真田幸村隊の激闘の様子をミニチュア人形で再現したもの。
大阪夏の陣図屏風に描かれた人々をパノラマビジョンで紹介したコーナーはなかなかの出来。戦闘場面よりも、落城寸前の大阪城から逃げる人々に対する残虐行為に心持ち重きが置かれていたようでもあり。
山里門から極楽橋、青屋門を経て、再度外堀を半周。
地下鉄谷町4丁目駅に近い大阪歴史博物館前の広場ですが、ちょっと目を離すと変なものを拵えてしまうのが大阪(NHKドラマ「大仏開眼」の宣伝用でしょうが・・・)。
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