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2010.04.13

C大阪2010(2):大阪城外堀

C大阪2010(1)から続く)

東京 6:50 (のぞみ7号 785-3603) 9:26 新大阪

新大阪 9:31 (739T サハ223-2167) 9:36 大阪

大阪 9:42 (1394 モハ201-274) 9:52 大阪城公園

大阪城には過去何回か行ったことがありますが、城郭について多少なりとも知識を身につけてから訪れるのは初めて。豊臣期の総構えからすれば大幅に規模は縮小し、かつ天守も鉄筋コンクリート造りのエレベーター付きではありますが、それでも国内屈指の巨城。大阪城の魅力を半日掛けて堪能してきました。

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まずは大阪城公園駅を基点に外堀を反時計回りに一周。大阪城は明治維新期の動乱や太平洋戦争の大空襲を潜り抜けて、江戸期のまま現存する櫓がいくつか残っています。

大阪城公園は広大で、本丸はどの駅からも微妙に遠いためか、汽車型のシャトルバスがそこら中でぐるぐるしていました。 

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大阪城公園は桜の名所としても知られていますが、満開にはほど遠くて残念。

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大阪城ホールに近いところにある青屋門。ここから北外堀を巡ります。

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筋鉄門跡には赤れんがの壁が残っていますが、これはかつて大阪城址にあった「大阪砲兵工廠」の名残。大阪砲兵工廠は太平洋戦争時に空襲で壊滅的な打撃を受け、その後跡地は長らく放置されていたそうですが、現在は大阪城ホールや大阪ビジネスパーク等に。

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西外堀に回って乾櫓。1620年(元和6年)に小堀遠州の設計で造営された城内最古の建造物。総2階造り(1階と2階が同じ床面積)の珍しい形式の二重櫓。

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左が千貫櫓。こちらも1620年(元和6年)に小堀遠州の設計で造営。千貫櫓の名は、石山本願寺時代に織田信長の軍勢が攻撃を繰り返したとき、この付近にあった隅櫓からの横矢攻撃に悩まされた攻め手の将兵らが「千貫文払ってでもあの櫓を手に入れたい」と話し合ったことに由来とのこと。

右が大手門の枡形を構成する多門櫓。1628年(寛永5年)創建ながら、1783年(天明3年)に落雷で焼失。その後1848年(嘉永元年)に再建。

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大手門。1628年(寛永5年)創建で1848年(嘉永元年)に改修。

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大手門をくぐって、枡形から多門櫓を臨む。歩行者と比べてみると、その大きさが想像できましょう。

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南外堀西側を固める六番櫓。1628年(寛永5年)創建。本来は玉造口から大手口まで七つ櫓があったそうですが、現在残っているのは一番と六番だけ。

屏風のように連なる高石垣は見事という他ありません。石垣が直線的ではなく、逆に激しく屈曲しているのは弓矢・鉄砲の死角をなくすための工夫。

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玉造口近くに建つ一番櫓。こちらも1628年(寛永5年)創建。

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外堀を一周した後は餃子なう。森ノ宮店にて。

*本エントリーは「時の刻印~大阪城史跡巡り」を参考にしました。

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